中央の墨書は「田村大神」、左下は「讃岐国一宮」。中央の朱印は「田村神社之章」、左下は「讃岐国壱宮印」。
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拝 殿
田村神社 (たむらじんじゃ) | |
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御祭神 | 倭迹迹日百襲姫命〔やまとととひももそひめのみこと〕 五十狭芹彦命(吉備津彦命)〔いさせりひこのみこと(きびつひこのみこと)〕 〈配祀〉 猿田彦大神〔さるたひこのおおかみ〕 天隠山命(高倉下命)〔あまのかごやまのみこと(たかくらじのみこと)〕 天五田根命〔あめのいたねのみこと〕 ※以上五柱を総称して田村大神〔たむらのおおかみ〕と呼ぶ |
旧称 | 田村大明神 定水大明神 一宮大明神 |
創建年代 | 和銅2年(709)社殿建立 |
所在地 | 香川県高松市一宮町286 (地図表示:マピオン) |
御詠歌 | 龍体で示現なすとの伝えなる 田村の神は水の大神 |
公式サイト | http://tamurajinja.com/ |
メモ | 讃岐国の一宮として古くから尊崇を集めた。社伝によれば和銅2年(709)に初めて社殿が建立されたといい、それ以前は現在は奥殿の神座の下にある定水井に筏を浮かべ、供物を供えて祭儀を行っていたという。それに先立つ大宝年間(701〜04)には義淵僧正によって別当の一宮寺が建立されている。大同年間(806〜10)弘法大師が留錫し、四国霊場に定められたという。 なお、一宮寺にある「一宮御陵」は孝霊天皇と百襲姫命、五十狭芹彦命の御陵と伝えられる(孝霊天皇は百襲姫命・五十狭芹彦命の父君)。 朝廷の崇敬厚く、延喜の制では名神大社に列し、建久元年(1190)には正一位に叙される。弘安の役に当たっては、後宇多天皇より「正一位田村大明神」の勅額を賜った。歴代領主もたびたび社殿の造営や神領の寄進を行っている。 延宝7年(1679)高松藩主・松平頼常(水戸光圀の長子)により神仏分離が行われ、唯一神道となって現在に至る。神社ではあるが、旧札所として別宮大山祇神社・琴弾八幡宮などとともに四国曼荼羅霊場に入っている。〈諸国神社御朱印集へ〉 |
大鳥居 | 宇都伎社 |
中央の墨書は「田村大神」、左下は「讃岐国一宮」。中央の朱印は「田村神社之章」、左下は「讃岐国壱宮印」。
2008.07.06
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