中央の文字は「大伽藍」。中央の朱印は「総本山金剛峯寺之印」、右上は「高野山伽藍」、左下は「伽藍納経所印」。
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御影堂
高野山 大伽藍 (こうやさん だいがらん) | |
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本尊 | 大日如来(根本大塔)・薬師如来(金堂)・弘法大師(御影堂) |
創建年代 | 弘仁7年(816) |
開基 | 弘法大師 |
宗派 | 高野山真言宗 総本山 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山152 (地図表示:マピオン) |
文化財 | 〈国宝〉不動堂 〈重文〉山王院本殿 〈史跡〉金剛峯寺境内 |
巡拝等 | 神仏霊場13番 |
メモ | 伽藍とは「僧たちが集まって修行する清浄な場」を意味する「サンガーラーマ」の漢訳「僧伽藍」を略した言葉で、寺院もしくは寺院の建造物を意味する。 高野山の大伽藍は奥之院とともに高野山の二大霊場の一であり、全山の中心となる根本大塔や金堂をはじめ、弘法大師の御影を祀る御影堂、高野山開創の伝承にまつわる「三鈷の松」(弘法大師が唐から帰国する際に投じた三鈷がかかっていたという)、地主神である丹生明神・高野明神を祀る山王院(御社)、国宝の不動堂、その他、西塔・愛染堂・准胝堂・孔雀堂・六角経蔵などが建ち並ぶ。 因みに、もともと金剛峯寺は高野山一山の総称であり、その中心が大伽藍であった。現在の金剛峯寺は高野山の本坊である。 弘仁7年(816)、弘法大師は嵯峨天皇に高野山の下賜を願い出、それが聞き届けられると、さっそく開創に着手した。その時、最初に堂宇が建てられたのが大伽藍地区で、弘仁10年(819)には講堂(現在の金堂)や御社(山王院)などが完成したと伝えられる。根本大塔の完成は貞観18年(876)頃であろうという。 その後、たびたび落雷などによる火災に見舞われ、創建当時の建物は残っていないが、そのたびに再建され、現在に至る。平成27年(2015)の開創1200年記念事業として、天保14年(1843)に焼失した中門の再建が進められている。 大伽藍の納経印は平成18年末で終了し、現在は「大伽藍根本大塔」か「大伽藍金堂」の印しかいただけないようである。下の納経印は平成18年11月の参拝時にいただいたもの。大伽藍の納経印がなくなることは知らなかったのだが、時間のない中を無理して納経所に駆け込み、拝受した。翌19年1月に参拝した際、大伽藍の納経印がなくなったことを知り、無理しておいてよかったと思った次第。 |
中央の文字は「大伽藍」。中央の朱印は「総本山金剛峯寺之印」、右上は「高野山伽藍」、左下は「伽藍納経所印」。
2009.12.16
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