古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 茨城県

古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

弘道館鹿島神社
こうどうかん かしまじんじゃ

弘道館鹿島神社

鹿島神社 (かしまじんじゃ)
御祭神 武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕
通称 弘道館鹿島神社
鎮座地 茨城県水戸市三の丸一丁目6−4 (地図表示:マピオン)
創建年代 安政4年(1857)
社格等 旧県社
由緒 水戸藩の藩校である弘道館の神殿として創祀され、現在も水戸城三の丸の弘道館の跡に鎮座している。
弘道館は天保12年(1841)に仮開館したが、創設者である藩主・徳川斉昭は、仁孝天皇の勅許を得て、構内に神殿を設けた。そして安政4年(1875)5月9日、常陸国一宮である鹿島神宮より御分霊を迎え、弘道館の本開館式を行った。
なお、この時に孔子廟も設けられている。当時、藩校の宗教施設としては孔子廟が一般的で、神社を設けるというのは珍しかった。
明治4年(1869)郷社に列し、水戸城東26ヶ町と茨城郡内の9ヶ村の氏神となった。同15年(1880)には県社に昇格した。
昭和20年(1945)戦災のため社殿等焼失してしまった。戦後は仮殿のままであったが、同49年(1974)伊勢神宮の第61回式年遷宮に際し、皇大神宮の別宮・風日祈宮の旧殿一式が特別に譲与され、同50年(1975)盛大に例大祭と竣工奉告祭が執り行われた。
例祭 5月9日
メモ 境内は弘道館公園の中にあり、弘道館や徳川斉昭ゆかりのものが多い。
参道近くにある八卦堂は(鹿島神社境内ではないようだが)、徳川斉昭が弘道館建学の精神を記した「弘道館記」の石碑を納めている。要石は、斉昭の「行く末も 踏み違えなそ 蜻島 大和の道ぞ 要なりける」という和歌を刻んだもので、鹿島神宮の要石に因んでいる。
大鳥居 八卦堂
要石 鈴梅(斉昭公お手植え)
要石 鈴梅(斉昭公お手植え)
御神輿殿(北関東最大級の神輿) 本殿
御神輿殿(北関東最大級の神輿) 本殿
弘道館鹿島神社の御朱印 要石の朱印

左が弘道館鹿島神社の朱印。中央の朱印は「弘道館鹿島神社之印」。
右は要石の印。

もどる


2011.05.25
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.