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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

酒列磯前神社
さかつらいそさきじんじゃ


拝 殿

酒列磯前神社 (さかつらいそさきじんじゃ)
御祭神 少彦名命〔すくなひこなのみこと〕
大名持命〔おおなもちのみこと〕
旧称 酒列磯前薬師菩薩神社 酒列磯前薬師菩薩明神 磯前明神
鎮座地 茨城県ひたちなか市磯崎町4607−2 (Mapion/googlemap
創建年代 斉衡3年(856)
社格等 式内社(名神大) 旧国幣中社 別表神社
由緒 那珂川をはさんで鎮座する大洗磯前神社と深い関わりを持つ。『文徳実録』斉衡3年(856)12月29日条に「常陸国上言鹿島郡大洗磯前有神新降…」として両社の創建に関わる記述がある。
それによれば、ある夜、塩作りの者が海上に不思議な光が輝いているのを見た。翌日になると、海岸に二つの怪石があった。後一日、さらに20個余りの小石が石の左右に向かい合い、待坐するようにも沙門のようにも見えた。神が人に憑って「我はこれ大己貴、少彦名の神である。昔、この国を造って東海へ去ったが、今、民を救うために帰ってきた」と託宣したという。
そこで、大己貴命を大洗磯前に祀り、酒列磯前に少彦名命を祀ったのが両社の創建である。
翌天安元年(857)8月には官社に預かり、10月には薬師菩薩名神の称号を贈られた。延喜式神名帳では酒列磯前薬師菩薩神社として名神大社に列する。
中世以降は武家の崇敬も篤く、建久2年(1191)源頼朝は神馬を奉献し、神領を寄進している。元弘2年(1332)には守護・佐竹貞義が神田を寄進している。応永29年(1422)江戸道房が馬場城(水戸城)に入ってからは、江戸氏歴代当主が社殿の造営修繕を行った。
しかし、その後社運は衰退し、江戸時代の初めには社殿も失われていた。元禄3年(1690)当社を参拝した水戸藩主・徳川光圀はこれを惜しみ、社殿の再興を命じた。同15年(1702)徳川綱條により竣工、遷座の儀が執り行われた。
古くより医薬・醸造(酒造)・海上安全・豊漁・学問の神として広く信仰を集めている。また「乳母神様」と呼ばれ、安産育児の神としても篤く信仰されている。
現在の社殿は昭和9年(1934)から元禄再建の社殿を改築したもので、拝殿向拝などの彫刻は往時のものをそのまま用いている。懸魚の葡萄と栗鼠は左甚五郎の作という。
境内の東に面する海岸には、南に45度傾斜した白亜紀の断層が連なる。その中に一部だけ北に傾斜したところがあり、そこから「逆列」の名が起こり、酒の神を祀ることから「酒列」の字が当てられたという。
例祭 8月第4土・日曜日(平磯祭・磯前祭)
神事・行事等 3月7日/競馬祭
5月5日/太々神楽祭
7月/海開祭
3年に一度の8月第1土・日曜日/平磯三社祭
9月25日/酒列鎮霊社例祭
文化財 〈県天然記念物〉社叢
公式サイト http://sakatura.org/
メモ 茨城交通湊線磯崎駅から1kmほどのところに鳥居がある。鳥居から社殿までの約300mの参道はヤブツバキやタブノキなどのトンネルとなっている。それも含め、社叢は県の天然記念物。大洗磯前神社とは逆に、海を背にして社殿が建っている。
白亜紀の断層が連なる酒列磯前の海岸は、大洗とはまた違う迫力がある。あまり時間がなかったので、逆列岩を確認することはできなかった。残念。
鳥居 参道
鳥居 参道
境内社 神馬舎
境内社 神馬舎
本殿 酒列磯前の海岸
本殿 酒列磯前の海岸
酒列磯前神社御朱印

中央の御朱印は「酒列磯前神社」。

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2008.12.21
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