一段目左が通常の本社の御朱印。中央の朱印は「日光山総鎮守・下野国一之宮・二荒山神社」、下は「日光だいこく様」。中央の文字は「八幡大神」、右下は鎮座地である「洛南男山」。
一段目中央は干支の御朱印。一段目右は別宮の本宮神社、二段目は左から別宮の瀧尾神社、末社の日枝神社・朋友神社、三段目左から末社の北野神社、大国殿、神橋。
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二荒山神社 (ふたあらやまじんじゃ) | |
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御祭神 | 二荒山大神〔ふたらやまのおおかみ〕 ・大己貴命〔おおなむちのみこと〕 ・田心姫命〔たごりひめのみこと〕 ・味耜高彦根命〔あじすきたかひこねのみこと〕 |
旧称 | 日光三所権現 |
通称 | 日光二荒山神社 |
鎮座地 | 栃木県日光市山内2307 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 神護景雲元年(767) |
社格等 | 式内論社(名神大) 旧国幣中社 下野国一宮 別表神社 (世界遺産) |
由緒 | 主峰・男体山を中心とする日光八峰を神体山とし、日光の山々や華厳の滝などを含む境内地は、伊勢神宮に次ぐ広さを誇る。日光市山内の本社、中善寺湖畔の中宮祠、男体山頂の奥宮が鎮座する。 古来、男体山の神(大己貴命)を祀る本社、女峰山の神(田心姫命)を祀る別宮・瀧尾神社、太郎山の神(味耜高彦根命)を祀る別宮・本宮神社を合わせて日光三所権現(あるいは日光三社権現)と称されてきた。三神は親子とされ、本地垂迹説ではそれぞれ日光山輪王寺の本尊・千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音に当てられる。また、三神を総称して二荒山大神という。 因みに日光とは、「二荒(ふたら)」を「にこう」と音読し、それに「日光」の字を当てたものである。二荒山の語源については補陀洛山から転訛など、幾つかの説がある。 天平神護2年(766)勝道上人が大谷川を渡って日光に入って四本龍寺を開き、翌神護景雲元年(767)その傍ら(現在の別宮・本宮神社の地)に二荒山の神を祀った。これが二荒山神社と輪王寺の開創であり、もともと神仏習合の霊場である。 勝道上人は14年にわたる修行の後、天応2年(782)男体山頂に至り、神祠を建てた(奥宮)。さらに延暦3年(784)山麓に中禅寺を開いて立木観音を本尊とし、その傍らに中禅寺大権現を祀った(中宮祠)。弘仁元年(810)には一山の総号として満願寺の寺号を朝廷より賜った。 別宮・瀧尾神社は弘法大師が来山し、女峰山の神を勧請したものという伝承がある。「二荒」を「日光」としたのも弘法大師と伝えられる。 嘉祥元年(848)慈覚大師円仁が堂塔を整え、以後、日光山は天台宗に帰属するようになった。同3年(850)昌禅座主が現在の地に社殿を造営し(本社)、元の社地には太郎山の神を祀った(別宮・本宮神社)。これに瀧尾神社を加えて「日光三所権現」と称するようになった。 日光の二荒山神社を延喜式神名帳の河内郡二荒山神社に当てる説もあるが、日光は都賀郡であり、河内郡にはやはり論社の宇都宮の二荒山神社がある。 元和3年(1617)日光山に徳川家康を祀る御廟(東照宮)が営まれると、二荒山神社は地主神として幕府の崇敬を受けるようになった。社殿も幕府によって造営され、いずれも重要文化財に指定されている。 明治の神仏分離により、日光山は二荒山神社・東照宮・輪王寺の二社一寺に分割されることとなった。二荒山神社や輪王寺の建物が入り交じって点在しているのはそのためである。 明治6年(1873)国幣中社に列格。平成11年(1999)日光の社寺として世界遺産に登録された。 |
例祭 | 4月13〜17日(弥生祭) |
神事・行事 | 1月4日/歩射祭〔中宮祠〕 5月5日/開山祭〔中宮祠〕 5月17日/日光東照宮宵成祭 5月中旬/報醸祭 6月第2土・日曜日/だいこくまつり 8月1〜7日/男体山登拝祭〔中宮祠・奥宮〕 10月下旬/祈醸祭 10月25日/閉山祭〔中宮祠〕 |
文化財 | 〈国宝〉大太刀(銘:備州長船倫光貞治五年二月日・附:野太刀拵) 小太刀(銘:来国俊・附:黒漆蛭巻太刀拵) 〈重要文化財〉太刀(銘:遠近) 太刀(銘:備州住兼重作) 太刀(銘:豊後国行平作) 銅灯籠(正応五年三月ノ銘アリ) 太刀(銘:吉平) 太刀(銘:備州長船康光応永二二年二月日) 金銅沃懸太刀(中身無銘) 太刀(銘:来国光) 金銅装神輿 大太刀(無銘・附:金銅蛭巻兵庫鎖太刀拵) 山金造黒漆蛭巻大太刀(中身無銘・号:弥々切丸太刀) 山金造黒漆蛭巻大太刀(中身無銘・号:柏太刀) 三鈷柄剣 金銅装唐鞍 後撰和歌集(天海寄進奥書) 下野国男体山頂出土品その他伴出物一切 本殿・唐門・掖門及び透塀・拝殿・鳥居・神橋・別宮瀧尾神社本殿・別宮瀧尾神社唐門・別宮瀧尾神社拝殿・別宮瀧尾神社楼門・別宮瀧尾神社鳥居・別宮本宮神社本殿・別宮本宮神社唐門及び透塀・別宮本宮神社拝殿・別宮本宮神社鳥居・神輿舎・大国殿・末社朋友神社本殿・末社日枝神社本殿 〈県有形文化財〉州浜松竹双鶴鏡 胡蝶双鳥鏡 御神馬用馬具 太刀(銘:重次) 太刀(銘:国定) 太刀(銘:行次) 太刀(銘:景秀) 刀(銘:肥前国住近江大掾藤原忠廣) 木造仮面 刀(銘:〈表〉河内大掾藤原国定〈裏〉奥州会津住) 太刀(無銘) 黒漆革蛭巻太刀拵 黒漆革蛭巻鱗文付太刀拵 〈県無形民俗文化財〉日光弥生祭付祭家体献備行事 〈天然記念物〉中宮祠のイチイ |
公式サイト | http://www.futarasan.jp/ |
メモ | 不思議なことに、二荒山神社に参拝すると必ず雨が降る。これまで三度行って、三度ともそうであった。日光にいる間中降る、というのではなく、二荒山神社の境内にいると必ず降る。三度目など、降水確率10%の予報だったのだが、当日、二荒山神社に入る寸前で雨が降り出し、かなりの本降りになった。東照宮で小降りになって、晴れ間も見えたのだが、もはや時間が残っていなかった(先に輪王寺から瀧尾神社へ参拝していたので)。これは何か意味があるのか、晴れで降水確率0%の予報の日に行って確認したいものだと思っている。 二荒山神社は本社・中宮祠・奥宮のほか、別宮・末社の御朱印もある。末社のうち、日枝神社・朋友神社・大国殿は、社殿脇の神苑内にあり、いずれも重要文化財である。 |
大鳥居と参道 | 弘法大師お手植えと伝わる高野槇 |
本殿 | 末社・日枝神社 |
末社・朋友神社 | 大国殿 |
一段目左が通常の本社の御朱印。中央の朱印は「日光山総鎮守・下野国一之宮・二荒山神社」、下は「日光だいこく様」。中央の文字は「八幡大神」、右下は鎮座地である「洛南男山」。
一段目中央は干支の御朱印。一段目右は別宮の本宮神社、二段目は左から別宮の瀧尾神社、末社の日枝神社・朋友神社、三段目左から末社の北野神社、大国殿、神橋。
2008.04.13
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