本宮神社の朱印は「本宮神社」。墨書は右に「日光の原点」、中央に「本宮神社」。
神橋の朱印は「二荒山神社印」。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 栃木県
日光二荒山神社
拝 殿
二荒山神社 別宮 本宮神社 (ほんぐうじんじゃ) | |
---|---|
御祭神 | 味耜高彦根命〔あじすきたかひこねのみこと〕 |
鎮座地 | 栃木県日光市山内 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 神護景雲元年(767) |
社格等 | 日光二荒山神社別宮 (世界遺産) |
由緒 | 天平神護2年(766)勝道上人が大谷川〔だいやがわ〕を渡って日光に入って四本龍寺を開き、翌神護景雲元年(767)その傍ら、現在の本宮神社の場所に二荒山の神を祀った。これが二荒山神社と輪王寺の開創であり、元は本宮神社の辺りが日光の中心であった(御朱印に「日光の原点」とあるのは、そのためである)。 嘉祥3年(850)昌禅座主が現在の二荒山神社本社の地に社殿を造営し(新宮)、元の社地には太郎山の神を祀った。これが本宮神社である。 男体山の神(大己貴命)を祀る新宮(本社)、太郎山の神(味耜高彦根命)を祀る本宮神社に、女峰山の神(田心姫命)を祀った滝尾神社を合わせて「日光三社権現」と称した。 社殿は貞享2年(1685)の再建で、重要文化財に指定されている。 日光の入り口、大谷川にかかる神橋は日本三大奇橋の一つ(残りの二つは山口県岩国市の錦帯橋と山梨県大月市の猿橋)。 天平神護2年(766)、勝道上人が日光へ入ろうとしたが、大谷川の激流に阻まれた。困り果てた上人が一心に祈念すると、一人の神人が現れた。身の丈は1丈余(3m余り)、左手には赤と青の2匹の蛇が巻き付いていた。そして上人に「我は深沙大王〔じんしゃだいおう〕である。汝を彼の岸に渡すべし」と言うと蛇を放った。蛇はたちまち岸を結んで虹のような橋となり、背に山菅が生えた。喜び勇んで上人一行が橋を渡り終え、後ろを振り返ると橋も神人も消えていたという。これに因んで、神橋を「山菅の蛇橋〔やますげのじゃばし〕」とも称する。 東照宮の遷宮以後は神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使の参向以外の通行は禁じられ、一般の通行は下流に架けられた日光橋を使うこととされた。 現在は有料で渡橋可能。重要文化財に指定されている。 |
例祭 | 4月13〜17日(弥生祭) |
文化財 | 〈重要文化財〉本殿・唐門及び透塀・拝殿・鳥居 神橋 |
公式サイト | http://www.futarasan.jp/(二荒山神社) http://www.shinkyo.net/(神橋) |
メモ | 神橋の交差点を渡ったところに本宮神社の入り口がある。つまり神橋を渡ってすぐ、日光山内の寺社では一番手前にある。日光開創の起点なのだから、当然のことではあるが。しかし、バスや車を使う人は輪王寺や東照宮まで行くからか、ほとんど人はいないようだ(ただし、参拝時は夕方、二社一寺の拝観時間終了間際だったからかも知れず、確かなことは言えない)。 石段を上り、鳥居をくぐっていくと、朱塗りの社殿が鎮座する。境内には、勝道上人が笈を掛けて休息したという笈掛石がある。また、本殿のすぐ裏には四本龍寺の三重塔が見える。 寂れた無人の神社という印象だが、社殿は国の重要文化財。徳川家の事業といえば、当時の国家プロジェクトだったわけで、山内隅々まで文化財であふれているのも当然のことだろうか。日光と聞いてイメージする豪華な装飾はないが、端正な雰囲気を持った社殿である。 御朱印は本社においていただくことができる。また、神橋の御朱印は、神橋たもとの受付にていただける。 |
神橋 | 本宮神社入り口 |
笈掛石 | 本殿 |
神橋 |
本宮神社の朱印は「本宮神社」。墨書は右に「日光の原点」、中央に「本宮神社」。
神橋の朱印は「二荒山神社印」。
2009.03.29
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.