房総半島の先端に鎮座する。安房国一宮。
『古語拾遺』によれば、忌部〔いんべ〕の祖・天太玉命〔あめのふとだまのみこと〕の孫である天富命〔あめのとみのみこと〕が阿波の忌部を引き連れて房総半島を開拓したとある。その際、天太玉命とその后・天比理刀当ス〔あめのひりとめのみこと〕を祀ったことに始まるという(『古語拾遺』には太玉命の社を立てた、それが安房社だとある。また、天比理刀当スを祀ったのは洲崎神社もしくは洲宮神社ともされる)。
養老元年(717)に現社地に遷座、この時、摂社の下の宮が創建され、天富命と天忍日命〔あめのおしひのみこと〕(天太玉命の弟)が祀られた。下の宮に対して本宮は上の宮と呼ばれるようになった。なお、後に下の宮は本宮に合祀され、大正7年(1918)に再建された。
朝廷の崇敬篤く、大同元年(806)神戸94戸に10戸を加えられ、承和3年(836)従五位下、同9年(842)正五位下、仁寿2年(852)従三位。延喜式では名神大社・安房坐〔あわにます〕神社として月次・新嘗の官幣に預かっている。
武門の崇敬篤く、里見氏は社領30石余を寄進、徳川幕府も朱印領30石を寄進した。