中央の朱印・文字はともに「洲ア神社」、右上の朱印は「安房国一の宮」。
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洲崎神社 (すのさきじんじゃ) | |
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御祭神 | 天比理刀当ス〔あめのひりとめのみこと〕 〈相殿〉 天太玉命〔あめのふとだまのみこと〕 天富命〔あめのとみのみこと〕 |
鎮座地 | 千葉県館山市洲崎1697 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・神武天皇の御代(紀元前660〜紀元前585) |
社格等 | 式内論社(大) 旧県社 安房国一宮 |
由緒 | 房総半島の南端から西へと突き出た洲崎に鎮座する。延喜式神名帳の「后神〔きさきがみ〕天比理乃当ス〔あめのひりのめのみこと〕神社 大。元名〔もとのな〕洲神〔すさきのかみ〕」に比定されるが、他の論社に同じ館山市内の洲宮神社がある(一説には洲崎神社が拝所、洲宮神社が奥宮ともいう)。 社伝によれば、神武天皇の御代、天太玉命〔あめのふとだまのみこと〕の孫である天富命〔あめのとみのみこと〕が四国阿波の忌部を率いて房総半島に移住した。この時、天太玉命を祀ったのが安房神社であり、その妻である天比理刀当ス〔あめのひりとめのみこと〕を祀ったのが洲崎神社とされる。 養老元年(717)地震によって境内の鐘ヶ池が埋まり、池の底で鐘を守っていた大蛇が災いを為したため、役行者が七日七夜の祈祷を行い、明神の神託によって退治したという。 永保元年(1081)正一位に極位。弘安4年(1281)勲二等に叙せられている。 治承4年(1180)石橋山の合戦に敗れた源頼朝は安房に逃れ、当社で源氏の再興を祈願し、神田を寄進した。また寿永元年(1182)には妻・政子の安産を祈願している。以来、武家の篤い崇敬を受けた。 文化9年(1797)房総半島の沿岸警備を巡視した老中・松平定信が参詣した際、「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納した。 東京都品川区の品川神社は、源頼朝が海上安全のために洲崎神社から勧請したものである。また、太田道灌は江戸城を築いた際に洲崎神社の分霊を勧請したが、神田明神の摂社・八雲神社がその後身だという。 |
例祭 | 8月21日 |
文化財 | 〈県天然記念物〉洲崎神社自然林 |
メモ | 兼務神社で普段は神職不在。現地から連絡すれば対応してもらえるようだが、事前連絡をしておいたほうがよいと思われる。 神社から近い波左間海中公園にある日本唯一の水中神社は、洲崎神社の分社として創立されたものだとのこと。 |
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大鳥居 | 随神門 |
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中央の朱印・文字はともに「洲ア神社」、右上の朱印は「安房国一の宮」。
2007.03.18
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