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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

香取神宮
かとりじんぐう

香取神宮拝殿

香取神宮 (かとりじんぐう)
御祭神 経津主大神(伊波比主命)
鎮座地 千葉県香取市香取1697 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大・月次新嘗) 旧官幣大社 勅祭社 下総国一宮 別表神社
公式サイト http://www.katori-jingu.or.jp/

香取神宮の御由緒

『日本書紀』によれば、御祭神・経津主大神は鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神〔たけみかづちのおおかみ〕とともに天降り、大国主命と国譲りの交渉をしたとされる。その後、東国各地を平定し、この地に鎮まった。社伝によれば神武天皇18年(A.D.643)の鎮座という。

古代、霞ヶ浦・北浦一帯は香取の海と呼ばれる内海であり、香取・鹿嶋の両神宮は、その入口を抑える軍事的にも重要な拠点であった。そのため、古くから朝廷の崇敬極めて篤く、延喜式において神宮の名を称するのは、伊勢の皇大神宮の他では香取・鹿島の両神宮のみである。

古くより祭神の子孫である香取氏が大禰宜〔おおねぎ〕として累代仕えた。後に大中臣氏が宮司を世襲するようになり、以来、江戸時代まで両氏が祭祀を司った。

神護景雲2年(768)経津主大神は春日大社の第二殿に迎えられている。弘仁3年(812)には鹿島神宮・住吉大社とともに20年に一度の式年造替にあたっては、正殿のみ造替することが定められた。斉衡3年(856)には正一位勲一等に極位した。延喜式では名神大社とされ、月次・新嘗の官幣に預かっている。

中世には下総国一宮とされ、朝廷のみならず武家の崇敬も篤かった。また、武芸の神として武道家の尊崇を受けた。天正19年(1591)徳川家康は社領1千石を寄進している。また、現在の社殿は元禄13年(1700)徳川綱吉によって造営されたものである。

明治4年(1871)官幣大社に列し、昭和17年(1942)には勅祭社とされた。四方拝でも御拝の対象となっている。

12年に1度、午年には式年大祭があり、盛大な神幸祭が行われる。4月15日、氏子千人余が随行する神幸行列が津宮へ進み、鳥居河岸から御座船に乗って船上祭を行う。さらに鹿島神宮による御迎祭の後、御旅所へ。翌16日、行列は佐原の町を巡って、神宮へと戻る。

経津主大神の荒御魂を祀る奥宮の近くには「要石〔かなめいし〕」がある。鹿島神宮のものと同じく、地震を起こす大ナマズの頭を抑えているとされる。水戸光圀が鹿島神宮を参拝した際に掘らせたが、その根元に到達することはできなかったという。

香取神宮の御朱印

香取神宮御朱印

中央の朱印・墨書はともに「香取神宮」

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香取神宮の概要

名称 香取神宮
旧称 香取大明神
御祭神 経津主大神(伊波比主命)〔ふつぬしのおおかみ(いわいぬしのみこと)〕
鎮座地 千葉県香取市香取1697
創建年代 伝・神武天皇18年(B.C.643)
社格等 式内社 旧官幣大社 勅祭社 下総国一宮 別表神社
延喜式 下總國香取郡 香取神宮 名神大 月次新嘗
例祭 4月14日
神事・行事 1月16日/星鎮祭
4月1〜15日/さくらまつり
4月第1土曜日及び翌日曜日/御田植祭
4月15日/神幸祭
午年の4月15日/式年神幸祭
10月17日/新飯神事
11月1〜24日/奉納菊花大会(菊まつり)
11月30日/大饗祭
12月1日/賀詞祭
12月4日/内陣神楽
12月7日/団碁祭
文化財 〈国宝〉海獣葡萄鏡 〈重文〉本殿(附:棟札1枚・銘札1枚他)・楼門 古瀬戸黄釉狛犬一対 双龍鏡 〈県文〉古神宝類(一括) 〈県天然記念物〉香取神宮の森
大鳥居 楼門
大鳥居 楼門
摂社・鹿島新宮 摂社・匝瑳神社
摂社・鹿島新宮 摂社・匝瑳神社
本殿 摂社・奥宮
本殿 摂社・奥宮
要石 鳥居河岸(津宮浜鳥居)
要石 鳥居河岸(津宮浜鳥居)

メモ
香取駅から南へ徒歩20分余りで、旧参道の入口に着く。鬱蒼とした社叢の中、奥宮、要石、護國神社などを経て大鳥居に出る。権現造の社殿は黒漆で塗られ、落ち着いた風格を漂わせる。

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2007.06.03
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