古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 福井県

古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

金崎宮
かねがさきぐう

金崎宮

金崎宮 (かねがさきぐう)
御祭神 尊良親王 恒良親王
鎮座地 福井県敦賀市金ヶ崎町1−1 (Mapion/googlemap
社格等 旧官幣中社 別表神社
公式サイト http://kanegasakigu.jp/

金崎宮の御由緒

建武中興十五社の一。御祭神の尊良親王は後醍醐天皇の一宮、恒良親王は皇太子である。通称は「親王さま」。

延元元年(1336)九州に落ち延びていた足利尊氏が上洛すると、尊良親王・恒良親王は新田義貞・義顕父子に奉じられて北陸道に下向し、気比神宮の大宮司である気比氏治・斎晴父子に迎えられて金ヶ崎城に入った。

しかし翌2年(1337)高師泰らの率いる足利軍約6万により攻撃を受け、3月6日に落城、尊良親王・新田義顕・気比氏治等は自害した。恒良親王は気比斎晴によって脱出したものの、後に捕らえられて京都に送られ、翌3年(1338)4月13日、毒を盛られて亡くなったという。

明治23年(1890)尊良親王を祭神として、官幣中社金崎宮として創立する勅旨があった。さらに同25年(1892)には勅旨により恒良親王を合祀することとなった。同26年(1893)5月5日、金ヶ崎城跡に社殿が落成し、勅使が参向して鎮座祭と奉告祭が執り行われた。

しかし同36年(1903)町内からの火災により社殿が類焼、同39年(1906)現在地に社殿を再建した。この時、本殿が流造から神明造に改められた。

摂社の絹掛神社は明治30年(1897)の創立で、藤原行房・新田義顕・気比氏治・気比斎晴・瓜生保等の殉難将士を祀る。

金崎宮の御朱印

金崎宮の御朱印

中央の朱印・墨書ともに「金崎宮」。

もどる

金崎宮の概要

名称 金崎宮
御祭神 尊良親王〔たかながしんのう〕
恒良親王〔つねながしんのう〕
鎮座地 福井県敦賀市金ヶ崎町1−1
創建年代 明治26年(1893)
社格等 官幣中社 別表神社
例祭 5月6日(春まつり)
神事・行事 3月6日/尊良親王祭
4月上旬(10日間)/花換祭
4月13日/恒良親王祭
10月19日/絹掛神社例祭
10月19〜20日/御船遊管弦祭(秋まつり)
文化財 〈史跡〉金ヶ崎城跡
巡拝 建武中興十五社
参道 鳥居
参道 鳥居
末社・朝倉神社 摂社・絹掛神社
末社・朝倉神社 摂社・絹掛神社
拝殿 社殿
拝殿 社殿
尊良親王墓所見込地 月見御殿跡
尊良親王墓所見込地 月見御殿跡

メモ
敦賀湾に突き出した金ヶ崎山の麓に鎮座する。気比神宮の奥之院とされた金前寺の横を通り、参道の石段を登ると鳥居が見え、金崎宮の社殿が鎮座している。因みに延喜式神名帳所載の敦賀郡金前神社について、参道途中の愛宕神社を当てる説、あるいは金前寺境内にあったとする説があるという。
社殿からさらに進むと、尊良親王墓所見込地があり、円筒形の石碑が建っている。尊良親王の墓所は京都市左京区に指定地があり、ここは尊良親王が自刃された場所と見なされている。
また、頂上付近の平地が本丸の跡といわれ、海抜86mの最高地は月見御殿と称される。晴れると見晴らしが素晴らしいというが、参拝時は時折小雨もぱらつくあいにくの天気で、どんよりと低い雲がかかっていた。

もどる


2012.05.23
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.