建武中興十五社の一。御祭神の尊良親王は後醍醐天皇の一宮、恒良親王は皇太子である。通称は「親王さま」。
延元元年(1336)九州に落ち延びていた足利尊氏が上洛すると、尊良親王・恒良親王は新田義貞・義顕父子に奉じられて北陸道に下向し、気比神宮の大宮司である気比氏治・斎晴父子に迎えられて金ヶ崎城に入った。
しかし翌2年(1337)高師泰らの率いる足利軍約6万により攻撃を受け、3月6日に落城、尊良親王・新田義顕・気比氏治等は自害した。恒良親王は気比斎晴によって脱出したものの、後に捕らえられて京都に送られ、翌3年(1338)4月13日、毒を盛られて亡くなったという。
明治23年(1890)尊良親王を祭神として、官幣中社金崎宮として創立する勅旨があった。さらに同25年(1892)には勅旨により恒良親王を合祀することとなった。同26年(1893)5月5日、金ヶ崎城跡に社殿が落成し、勅使が参向して鎮座祭と奉告祭が執り行われた。
しかし同36年(1903)町内からの火災により社殿が類焼、同39年(1906)現在地に社殿を再建した。この時、本殿が流造から神明造に改められた。
摂社の絹掛神社は明治30年(1897)の創立で、藤原行房・新田義顕・気比氏治・気比斎晴・瓜生保等の殉難将士を祀る。