若狭彦神社は上社と下社からなり、古来、上社を若狭彦神社・若狭国鎮守一宮、下社を若狭姫神社・若狭国鎮守二宮と称える。延喜式神名帳には「若狭比古神社二坐 名神大」とある。
遠敷川を若狭彦神社からさらに遡ると鵜の瀬という淵がある。社伝によれば、和銅7年この地に若狭彦神と若狭姫神が降臨されたので、仮殿を営んで奉斎した。そして翌霊亀元年(715)9月10日、若狭彦神が現在の社地に遷座されたという。かつて、例祭は若狭彦神が鎮座された9月10日に行われていたが、明治に太陽暦が導入された際、1ヶ月遅れの10月10日に行われることになった。
また、鵜の瀬は奈良・東大寺の若狭井に通じているとされ、お水送りの行事が行われることでも有名である。現在、お水送りは旧別当の神宮寺の行事となっている。
古来、朝廷の崇敬篤く、神護景雲4年(770)には伊勢朝臣諸人が遣わされて鹿毛の馬が奉納され、大同元年(806)には神封10戸を賜っている。貞観元年(859)には若狭比古神に正二位が贈られている(若狭比咩神は従二位)。また、一代一度の大神宝使にも預かっている。若狭国の一宮とされ、武門においても歴代守護・小浜藩主などによる社領の寄進などたびたびであった。
鎌倉時代から室町時代の初め頃までは上社が祭祀の中心で、主な祭祀も上社で行われていたが、室町時代の末期には下社が中心になったようだ。
古来、農林商工業・漁業・縁結び・安産育児・学問・厄除け・交通安全などの信仰を集め、特に近畿地方では畳・敷物、さらに現代ではインテリア関係などの守護神としても名高いとのことである。
旧別当の若狭神宮寺本堂には神仏をともに祀る神仏習合時代の神宮寺の形態を今に伝えている。