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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

若狭彦神社
わかさひこじんじゃ
(若狭彦神社上社)

若狭彦神社

若狭彦神社上社 (わかさひこじんじゃ かみしゃ)
御祭神 若狭彦大神(彦火火出見尊)
鎮座地 福井県小浜市竜前28−7 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 若狭国一宮 旧国幣中社 別表神社

若狭彦神社の御由緒

若狭彦神社は上社と下社からなり、古来、上社を若狭彦神社・若狭国鎮守一宮、下社を若狭姫神社・若狭国鎮守二宮と称える。延喜式神名帳には「若狭比古神社二坐 名神大」とある。

遠敷川を若狭彦神社からさらに遡ると鵜の瀬という淵がある。社伝によれば、和銅7年この地に若狭彦神と若狭姫神が降臨されたので、仮殿を営んで奉斎した。そして翌霊亀元年(715)9月10日、若狭彦神が現在の社地に遷座されたという。かつて、例祭は若狭彦神が鎮座された9月10日に行われていたが、明治に太陽暦が導入された際、1ヶ月遅れの10月10日に行われることになった。

また、鵜の瀬は奈良・東大寺の若狭井に通じているとされ、お水送りの行事が行われることでも有名である。現在、お水送りは旧別当の神宮寺の行事となっている。

古来、朝廷の崇敬篤く、神護景雲4年(770)には伊勢朝臣諸人が遣わされて鹿毛の馬が奉納され、大同元年(806)には神封10戸を賜っている。貞観元年(859)には若狭比古神に正二位が贈られている(若狭比咩神は従二位)。また、一代一度の大神宝使にも預かっている。若狭国の一宮とされ、武門においても歴代守護・小浜藩主などによる社領の寄進などたびたびであった。

鎌倉時代から室町時代の初め頃までは上社が祭祀の中心で、主な祭祀も上社で行われていたが、室町時代の末期には下社が中心になったようだ。

古来、農林商工業・漁業・縁結び・安産育児・学問・厄除け・交通安全などの信仰を集め、特に近畿地方では畳・敷物、さらに現代ではインテリア関係などの守護神としても名高いとのことである。

旧別当の若狭神宮寺本堂には神仏をともに祀る神仏習合時代の神宮寺の形態を今に伝えている。

若狭彦神社の御朱印

若狭彦神社の御朱印

中央の朱印は「若狭彦神社印」、右上は「若狭国弌之宮」。

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若狭彦神社の概要

名称 若狭彦神社上社
旧称・通称 遠敷明神 若狭彦神社
御祭神 若狭彦大神(彦火火出見尊)〔わかさひこのおおかみ(ひこほほでみのみこと)〕
鎮座地 福井県小浜市竜前28−7
創建年代 霊亀元年(715)
社格等 式内社 若狭国一宮 旧国幣中社 別表神社
延喜式 若狭國遠敷郡 若狭比古神社二座 名神大
例祭 10月10日
神事・行事 1月15日/火焚神事
3月10日/御帰神事
5月下旬日曜/神輿神事
8月8日/八重多多美講社祭
文化財 〈県有形文化財〉本殿・神門・随神門
鳥居 随神門
鳥居 随神門
伏水の幸 末社・若宮神社
伏水の幸 末社・若宮神社
本殿 鵜の瀬
本殿 鵜の瀬

メモ
東小浜駅でレンタサイクルを借り、周辺の寺社を参拝。まず遠敷川沿いに鵜の瀬まで遡り、神宮寺、若狭彦神社と巡った。見所が多く、半日では回りきれなかったのが残念。
神職が常駐し、普段の祭祀が行われているのは下社(若狭姫神社)ということで、あまり人の気配はない。薄暗い森の中の参道を進み、随神門をくぐると、社殿との間にちょっとした広場が開けている。昭和40年(1965)の風害で倒壊した拝殿の跡なのだそうだ。世俗化されない境内は、いかにも神さびた祭祀の場という印象である。
御朱印は下社(若狭姫神社)で拝受できる。

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2009.08.19
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