一宮の真清田神社に次ぐ尾張国の二宮。創建年代は不詳だが、もとは本宮山上にあり、垂仁天皇の御代、山麓の現在地に遷座したと伝えられる。
祭神の大縣大神については諸説あるが、邇波県主〔にはのあがたぬし〕の祖・大荒田命とする説が有力である。
文献に大縣神社が現れるのは『続日本紀』で、承和14年(847)に尾張国無位大縣天神と真清田天神に従五位下を授け奉るとある。以後神階は累進し、貞観15年(873)には正四位下に叙されている。延喜式神名帳では名神大社に列する。
江戸時代には尾張藩が社領200石を寄進している。現在の社殿は寛文元年(1661)に二代藩主・徳川光友が造営した「尾張造り」で、特に本殿は他に見られない「三棟造り」「大縣造り」と称される特殊な形式である。
摂社の姫の宮には玉姫命〔たまひめのみこと〕と倉稲魂神〔うがのみたまのかみ〕を祀る。玉姫命は大荒田命の娘で、尾張連の建稲種命〔たけいなだねのみこと〕に嫁いだとされる。小牧市の式内社・田縣神社の祭神でもある。
姫の宮には「姫石」が安置され、安産・子授け・縁結び・子育て・婦人病など、女性の守護神として信仰を集める。
また3月に行われる姫の宮の豊年祭は、田縣神社の豊年祭と対になる祭で、天下の奇祭として知られる。田縣神社の陽の祭に対する陰の祭で、かつては女陰を象った神輿を担いでいたが、戦後、風紀上の問題があるということで、おかめの顔の神輿に変えられたという。