墨書は「大楠公墓所」「嗚呼忠臣楠子之墓」。朱印は菊水の神紋と「臣子之亀鑑大楠公廟」。「嗚呼忠臣…」は言うまでもなく徳川光圀による墓碑銘。「臣子之亀鑑」とは、明治元年(1868)の神社創建に関する御沙汰書にある文言のようである。
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大楠公墓所
だいなんこう ぼしょ
湊川神社 大楠公墓所 (だいなんこう ぼしょ) | |
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御祭神 | 楠木正成公(大楠公)〔くすのきまさしげこう(だいなんこう)〕 |
鎮座地 | 神戸市中央区多聞通三丁目1−1 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 元禄5年(1692) |
社格等 | 旧別格官幣社 別表神社 |
由緒 | 湊川神社境内、南東隅にある。この地は延元元年(1336)当地で殉節した楠木正成公(大楠公)の墓所と伝えられ、文禄年間(1592〜96)の太閤検地では免租地とされている。しかし、墓碑等は建っていなかった。江戸時代に入り、尼崎藩主・青山幸利によって梅と松が植えられ、小さな五輪塔が建てられたという。 彰考館を開設し、『大日本史』の編纂に着手した徳川光圀は、南朝正統論に立ち、楠木正成を忠臣の第一とした。そして、その功績を顕彰するため、墓碑を建立することとなった。 墓碑は亀趺〔きふ〕(亀の形をした台座)の上に建てられており、表には光圀の書で「嗚呼忠臣楠子之墓」、裏には岡村元重の筆になる朱舜水〔しゅ しゅんすい〕の賛文が刻まれている。 以来、多くの勤王家がここを参拝し、明治維新に至る原動力の源泉となったのである。 また、昭和30年(1955)徳川光圀公の功績を顕彰するため、墓所のそばに公の銅像が建立された。 |
例祭 | 7月12日 |
公式サイト | http://www.minatogawajinja.or.jp/ |
メモ | 御墓所の御朱印がいただけることを知り、神戸出張の際の仕事前の時間を使って参拝。ところが、授与所は無人で、やむなく社務所に向かったところ、ちょうど担当の方が準備をしているところだった。そこで、再び御墓所に戻って御朱印を拝受。 |
墓碑 | 水戸光圀公像 |
墨書は「大楠公墓所」「嗚呼忠臣楠子之墓」。朱印は菊水の神紋と「臣子之亀鑑大楠公廟」。「嗚呼忠臣…」は言うまでもなく徳川光圀による墓碑銘。「臣子之亀鑑」とは、明治元年(1868)の神社創建に関する御沙汰書にある文言のようである。
2008.09.22
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