讃岐の国・象頭山に鎮座する。全国各地に祀られる「こんぴらさん」の総本宮である。
社伝によれば、三千年ほど前、大物主神がこの地に鎮まったことに始まり、往古は琴平神社と称したという。中世、本地垂迹説によりインドのガンジス川の鰐神クンビーラ(金比羅・十二神将の一である宮毘羅大将)と習合し、金毘羅大権現と呼ばれるようになったという。また、讃岐に配流された崇徳上皇は当社の尊崇厚かったことから、永万元年(1165)本殿に祀ったとされる。
歴史的には、元亀4年(1573)の棟札に象頭山松尾寺内の金毘羅堂が建立されたことが記されており、これを初見とする。金毘羅神は王舎城の守護神であったという伝承があり、釈迦如来を本尊とする松尾寺の伽藍鎮守神として祀られたものであろう。
この時から江戸時代の初期にかけて、別当金光院の尽力や、塩飽諸島の船乗りにより、金毘羅信仰は全国に広がった。生駒氏・松平氏が社領を寄進、慶安元年(1648)には天領となる。後水尾天皇をはじめ朝廷の崇敬も深く、また、庶民の金毘羅参詣も非常に盛んで、短期間の内に全国屈指の霊場として信仰を集めるに至った。
しかし明治の神仏分離に際し、松尾寺は廃寺とされ、金光院別当は復飾して神職となり、大物主神を御祭神とする神社となった。廃仏毀釈の嵐はすさまじいもので、多くの仏像・仏具が廃棄されたという。因みに現在の旭社は元の松尾寺本堂、書院は松尾寺の本坊・金光院であった。なお、松尾寺の法灯は塔頭の普門院に受け継がれ、現在に至っている。
明治4年(1871)金刀比羅神社として国幣小社に列格、同18年(1885)国幣中社に昇格、同22年(1889)金刀比羅宮と改称。
全国各地に金刀比羅宮の御分霊を祀る神社は多い。また、出雲・神戸・松山・尾張・鳥羽・東京に直轄の分社(境外末社)がある。昭和41年(1966)には全国のことひら講を基盤として金比羅本教が設立された。
今も航海安全をはじめとする信仰は厚く、絵馬堂には漁船からタンカーまで、さまざまな船から奉納された絵馬が掲げられる。中には宇宙船の絵馬(ソユーズとTBSの秋山氏)まである。〈四国八十八ヶ所へ〉