古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 御府内八十八ヶ所 > 阿波国の写し霊場

古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第12番
明王山 宝仙寺
みょうおうざん ほうせんじ

宝仙寺本堂
本 堂

明王山 聖無動山 宝仙寺 (みょうおうざん しょうむどういん ほうせんじ)
本尊 不動明王
札所本尊 弘法大師(日輪大師)
創建年代 寛治年間(1087〜94)
開基 源義家
宗派 真言宗豊山派
所在地 東京都中野区中央二丁目33−3 (Mapion/googlemap
御詠歌 後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも
巡拝 関東三十六不動
公式サイト http://www.housen.org/
メモ 寺伝によれば、寛治年間(1087〜94)奥州から凱旋して京へ向かっていた源義家が、父・頼義が阿佐ヶ谷に建てた八幡社に参詣し、その隣に陣中の念持仏であった不動明王を安置するために一寺を建立したことに始まるという。この時、地主神の稲荷大明神が現れて義家に一顆の珠を与え、「この珠は希世之珍、宝中之仙である。これを以て鎮となさば、則ち武運長久、法灯永く明らかならん」と告げ、白狐と化して去った。これにより、明王山宝仙寺と称するようになったと伝えられる。
鎌倉時代、相模国雨降山大山寺の願行上人(大山寺を再興し、本尊の国宝・鉄造不動明王像を鋳造した高僧)が宝仙寺を訪れた。上人は本尊の不動明王を拝して、その凡常ならざる尊容に驚いた。そして、誤って汚すことのないよう秘仏とし、別の不動尊像を刻んで平素の礼拝に当てさせた。
室町時代、中興開山の聖永上人が寺基を現在地に移した。江戸時代には真言宗関東十一談林に列し、江戸の庶民から歴代将軍に至るまで尊崇を受けた。鷹狩りの際には将軍の休憩所となった。また、寛永13年(1636)に建立された三重塔(現在の第十中学校のあたりにあった)は中野村のシンボルで、『江戸名所図会』にも描かれた。
しかし、昭和20年(1945)の戦災で堂塔などすべて烏有に帰し、現在の伽藍は戦後に再建されたものである。
境内は舗装された広場のようになっており、周囲に本堂・御影堂・三重塔をはじめとする堂宇や、石仏・石碑やモニュメントが並ぶ。石臼塚は、日常生活の中で使われなくなった石臼に感謝し、供養するために作られたもの。また、境内の片隅に壁龕のある石碑のようなものが並んでおり、それぞれよく見ると「第五十八番伊豫国仙遊寺 本尊千手観世音」「讃岐国弥谷寺写」という文字がある。かつて、ミニ四国八十八ヶ所があった名残と思われる。
宝仙寺の本尊は上述のごとく不動明王であるが、『御府内八十八ヶ所大意』には日輪大師とあり、現在の納経印でも「日輪弘法大師」と書かれているので、御影堂に祀られた弘法大師が札所本尊なのであろう。この尊像は平成4年(1992)に完成したもので、脱活乾漆技法で作られたもの。高さ2.4mあり、これだけのサイズの像を脱活乾漆技法で造ったのは天平時代以来だろうとのことである。
写寺 摩廬山 焼山寺
八十八ヶ所大意 明王山 聖無動院 宝仙寺 中野村
〈本尊〉日輪大師
〈朱印地〉廿三石六斗余 ◇独礼 〈末寺〉五十八ヶ寺
〈開山〉聖永上人
談林所
仁王門 大師堂
仁王門 大師堂
御影堂 三重塔
御影堂 三重塔
石臼塚 ミニ四国(仙遊寺と弥谷寺)
石臼塚 ミニ四国(仙遊寺と弥谷寺)
宝仙寺の納経印

中央の墨書は「日輪弘法大師」。中央の朱印は、弘法大師は弥勒の三昧に住するということから弥勒菩薩の種字「ユ」、右上は「府内八十八ヶ所第十二番」、左下は「明王山宝仙寺」。

<<前へ 阿波国の写し霊場へ 次へ>>


2009.06.03
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.