古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 御府内八十八ヶ所 > 伊予国の写し霊場

古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第41番
十善山 密蔵院
じゅうぜんざん みつぞういん

密蔵院山門(冠木門)
山門(冠木門)

十善山 蓮華寺 密蔵院 (じゅうぜんざん れんげじ みつぞういん)
本尊 勝軍地蔵菩薩
創建年代 不詳
開山 慶誉法印
宗派 真言宗御室派
所在地 東京都中野区沼袋二丁目33−4 (Mapion/googlemap
御詠歌 この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞきく
メモ 百観音として有名な明治寺の北隣にある。山門は寺院には珍しい冠木門で、中の本堂も昔の農家を思わせる構え。最初は気づかずに通り過ぎてしまった。しかし、玄関を入ると内陣の立派な地蔵菩薩像が目に入る。中に招き入れられて読経をした。
もともと密蔵院は北条氏直の念持仏であった勝軍地蔵菩薩を本尊とし、小田原城内に創建された。慶長16年(1611)慶誉法印が本尊・勝軍地蔵を捧持して江戸に移り、矢ノ倉(日本橋)に寺地を拝領して寺を建立した。さらに正保元年(1644)浅草の新寺町に移転した。以来、御室御所の直末として寺運興隆したが、次第に衰えた。
明治43年(1910)現在地に墓地を移転し、斎場や客殿を建立するなど寺運の復興に努めたが、関東大震災で堂宇が全焼。壇信徒の協力により再建されたが、第二次大戦の戦災により再び焼失し、昭和25年(1950)現在地に本堂を建立、移転した。
湯島の32番圓満寺とともに都内では珍しい御室派の寺院だが、ご住職の話によると、江戸時代には御室派の寺院はたくさんあったという。しかし、明治の初めに多くの寺院が廃寺となった上、残った寺院も大半が豊山派に転じたため、現在のような状況になったとのことだ。因みに、醍醐派の寺院は智山派に転じたところが多いとのことである。
そういえば御府内八十八ヶ所でも、15番南蔵院・33番真性寺・56番与楽寺などが御室御所の直末から豊山派に転じている。そのような中で、現在まで御室派として維持してくるのには大変な苦労も多かったのではないだろうか。
写寺 稲荷山 龍光寺
八十八ヶ所大意 勝軍山 蓮花寺 密蔵院 浅草新寺町
〈本尊〉十一面 大師御作
〈開基〉慶誉法印
御室末
密蔵院の納経印

本尊・勝軍地蔵とするものと大日如来とする資料があるが、納経印は大日如来となっている。中央の文字は「本尊大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は大日如来の種字「バン」、右上は「御府内第四十一番」、左下は「密蔵院印」。

<<前へ 伊予国の写し霊場へ 次へ>>


2009.12.30
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.