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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

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医王山 七仏寺
いおうざん しちぶつじ

七仏寺

医王山 七仏寺 (いおうざん しちぶつじ)
本尊 石像七仏薬師如来
創建年代  
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
所在地 香川県善通寺市吉原町2116 (地図表示:マピオン)
御詠歌  
メモ 国道11号線から脇道に入ると、七仏薬師如来の標石や古験松の碑、西行の歌碑があり、参道を下った吉原大池のほとりに小さなお堂が建っている。参拝時はちょうど工事中であった。
伝承によれば、弘法大師が自ら七仏薬師如来の石像を刻み、一宇を建立して安置したことに始まるという。医王山七仏寺と号していたが、兵火で焼失した。
承応年間(1652〜55)大池の改修をしているときに土の中から石仏が現れた。宰領(工事監督)が池の堤に使おうと思い、石仏を割ろうとしたところ、気絶して倒れてしまった。宰領は畏れて石仏を割ることを止めた。その夜、夢に一人の僧が現れ、石仏の由来を教えたため、お堂を建てて祀ることにしたという。
西行の歌碑には「月見よと芋の子どもの寝入りしを 起しに来たが何か苦しき」とある。
この歌については次のような伝承がある。西行がこのあたりに庵を結んでいたときのこと。八月十五夜の満月があまりにも美しいので、芋畑に出て月を眺めていた。それを農夫が芋泥棒と間違えてとがめたので、西行は「今夜は昔から芋名月というので、芋を一つくだされ」と言った。農夫が歌を一首詠んでくれるなら差し上げましょうと言ったので、この歌を詠んだという。もちろん、農夫は喜んで芋を与えたとのことである。
七仏寺の納経印は曼荼羅寺でいただくことができる。
七仏薬師の標石 古験松の碑と西行の歌碑
七仏寺の納経印

<中央の文字は「 薬師如来」。中央の朱印は薬師如来の種字「ベイ」、右上は「番外霊場」、左下は「七仏寺印」。/p>

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210.03.17
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