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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

長田神社
ながたじんじゃ

長田神社拝殿

長田神社 (ながたじんじゃ)
御祭神 事代主神(於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神)
鎮座地 神戸市長田区長田町3-1-1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大・月次相嘗新嘗) 旧官幣中社 別表神社
公式サイト http://nagatajinja.jp/

長田神社の御由緒

日本書紀によれば、事代主神は神功皇后の三韓征伐に際して託宣を降した神の一柱で、その時名乗った尊号が「於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神」である。

そして、神功皇后が凱旋して難波に向かう途中、務古の水門〔むこのみなと〕で事代主神より「吾が御心長田国に祀るべし」という託宣があり、山背根子の娘・長媛(廣田神社の祭祀を司った葉山媛の妹)に祀らせたという。これが長田神社の起こりである。

なお、この時、天照大神の荒魂を廣田神社に、稚日女尊を生田神社に、住吉三神を住吉大社に祀っている。特に廣田神社・生田神社とは関係が深い。

貞観元年(859)には従五位上勲八等長田神に従四位下が授けられている。大同元年(806)には神封41戸が寄進された。たびたび祈雨の奉幣を受けており、延喜式では名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗及び祈雨の官幣に預かっている。中世には武将の崇敬も篤かった。

また、一般庶民からは、事代主を祀ることから「恵美主〔えびす〕さま」として、産業の守護神・開運招福の神として信仰を集めるようになった。

現在の社殿は昭和3年(1928)に再建されたもの。第二次大戦の戦災は免れたものの、阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、約3年をかけて復旧した。昭和初期を代表する神社建築として国の登録有形文化財になっている。

長田神社の御朱印

長田神社の御朱印

朱印は菊菱の神紋と「長田神社」

長田神社の昔の御朱印

大正8年 大正10年代 昭和9年
大正8年 大正10年代 昭和9年
昭和10年代
昭和10年代

上段左は大正8年の御朱印。上の印は「官幣中社長田神社」、下は神使の鶏と「官幣中社長田神社参拝記念」。
上段中央は大正10年代のもの。上の印は「官幣長田社印」。下は「官幣中社長田神社」で、大正8年の御朱印で使われている印の内側と同じ。
上段右は昭和9年の御朱印。上の印は「長田神社」、下は「長田神社社務所印」。
下段左は昭和10年代のもので、上は菊菱の神紋、下は「長田神社」。昭和17年発行の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。

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長田神社の概要

名称 長田神社
御祭神 事代主神〔ことしろぬしのかみ〕(於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神〔あめにことしろ そらにことしろ たまくしいりひこ いつのことしろぬしのかみ〕
鎮座地 神戸市長田区長田町三丁目1−1
創建年代 伝・神功皇后摂政元年(201)
社格等 式内社 旧官幣中社 別表神社
延喜式 攝津國八部郡 長田神社 名神大 月次相嘗新嘗
例祭 10月18日(長田まつり)
神事・行事 1月10日/本宮恵美主祭・末社蛭子社祭
2月3日/節分祭・古式追儺式神事
4月1日/眼鏡感謝祭(めがねまつり)
4月30日〜5月3日/商工業繁栄祈願祭(商工祭)
6月1日/「にこにこ会」祈願大祭
7月17・18日/夏越祭
10月19日/長田まつり・氏子大祭
文化財 〈重文〉黒漆金銅装神輿 〈登録有形文化財〉本殿 幣殿 拝殿 東楽舎 西楽舎 透塀及び裏門 末社・天照大神社 末社・八幡社 末社・月読社 末社・出雲神社 末社・蛭子社 末社・松尾社 神門 神符授与所及び付属舎 廻廊及び脇門 神楽殿 〈県有形文化財〉太刀拵 石灯籠 〈県無形民俗文化財〉古式追儺式
巡拝等 神仏霊場71番
鳥居 神門
鳥居 神門
楠宮稲荷社 蛭子社・出雲社
楠宮稲荷社 蛭子社・出雲社
松尾社 本殿
松尾社 本殿

メモ
市営地下鉄長田駅もしくは高速長田駅から歩いて5分余のところにある。この近辺も阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたところ。仕事で、震災から50日ほどの頃に訪れたのだが、空襲の後のような焼け跡や、公園などで避難生活を続ける人たちの姿に心が痛んだものである。公共交通機関が寸断され、目的地に行くために高速長田駅からJRの新長田駅まで歩いたため、特に印象が深い。
御朱印を拝受したのはそれから約10年後だったが、見事に復興していた。
長田神社の神使は鶏で、戦前までは境内に放し飼いにされていたというが、今はいない。

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2007.05.06
更新:2015.11.14
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