中央上の朱印は祇園木瓜の神紋、下は「敏馬神社」。
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敏馬神社 (みぬめじんじゃ) | |
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御祭神 | 素盞嗚命〔すさのおのみこと〕 天照皇大神〔あまてらすすめおおかみ〕 熊野坐大神〔くまのにいますおおかみ〕 〈末社・水神社〉 弥都波能売神〔みずはのめのかみ〕 |
鎮座地 | 神戸市灘区岩屋中町四丁目1−8 (マピオン) |
創建年代 | 伝:神功皇后摂政元年(201) |
社格等 | 式内社 旧県社 |
由緒 | かつて本殿のある高台は海中に突き出た岬で、奈良時代、この一帯は敏馬の浦あるいは敏馬の泊と呼ばれる港であった。延喜式には、「新羅人が来朝すると、生田神社でつくった酒をこの地で賜る」とある。 現在の御祭神は素盞嗚命・天照皇大神・熊野坐大神の三柱だが、元来の御祭神は弥都波能売神とされる(現在は末社の水神社に祀られている)。「敏馬」の名も弥都波能売神の名が転じたものという。「敏馬」は美奴売・美奴面・汶売・見宿女・三犬女などとも書き、延喜式神名帳には「汶売神社」として記載されている。 慶長年間の兵火で旧記を焼失したため由緒については不明だが、『摂津国風土記』に創建に関わる記述がある。それによれば神功皇后が新羅に出兵する際、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡能勢町の三草山)の神から「我が山にある杉の木を切って船を造り新羅に行かれるなら幸いする所あり」というお告げがあり、その通りにして大勝利を得た。ご帰還の途中、この地で船が動かなくなったため、神意を占ったところ「神の御心なり」とあったため、美奴売の神を当地に祀ったという。同じく延喜式神名帳の八部郡に記載されている生田神社・長田神社と同様の鎮座伝承である。 貞享3年(1686)の文書では御祭神が牛頭天王(素盞嗚命)を中心とする三柱になっており、この頃までに御祭神が入れ替わったと考えられる。 明治6年(1873)村社に列格、大正4年(1915)郷社に昇格、さらに昭和5年(1930)には県社となる。旧社殿は寛政2年(1790)の造営であったが、昭和20年(1945)戦災により焼失した。現在の本殿は同27年(1952)の再建。 |
例祭 | 10月9・10日 |
神事・行事 | 1月15日/左義長(とんど神事) 5月5日/御旅所例祭(住吉神社) 7月13・14日/夏祭(茅の輪神事) |
公式サイト | http://blog.livedoor.jp/minumeshrine/ |
メモ | 阪神電鉄岩屋駅のすぐ南、国道2号線沿いに鎮座する。 当地は昭和の初めまで白砂青松の美しい海岸で、万葉集以来、多くの歌人によって歌に詠まれており、境内には柿本人麻呂と田辺福麻呂〔たなべのさきまろ〕の歌碑が建っている。 境内末社の水神社には元の御祭神である弥都波能売神を、后の宮には当社の御鎮座に関わる神功皇后を祀る。『摂津名所図会』に霊泉として紹介されている三犬女〔みぬめ〕清水(閼伽井〔あかい〕)は、阪神淡路大震災により枯れてしまったらしい。 当社の氏子地域は灘五郷の一・西郷で、江戸の中頃から酒造業や回船業で栄えた。末社の松尾神社は、その守護神として勧請されたものという。 |
鳥居 | 三犬女清水(閼伽井) |
柿本人麻呂の歌碑 | 松尾神社 |
后の宮 | 水神社 |
田辺福麻呂の歌碑 | 本殿 |
中央上の朱印は祇園木瓜の神紋、下は「敏馬神社」。
2012.07.20
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