中央の朱印は火炎宝珠。右上は「東京六地蔵尊第一番」、左下は「品川寺印」。
造立年代 | 宝永5年(1708) |
海照山 普門院 品川寺 (かいしょうざん ふもんいん ほんせんじ) | |
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本尊 | 水月観世音菩薩 聖観世音菩薩 |
通称 | 品川寺(しながわでら) |
創建年代 | 大同年間(806〜10) |
開山 | 弘法大師空海 |
宗派 | 真言宗醍醐派 別格本山 |
所在地 | 東京都品川区南品川三丁目5−17 (地図表示:マピオン) |
巡拝 | 江戸三十三観音(31番) 東海三十三観音(21番) 東海七福神(毘沙門天) |
公式サイト | http://www.evam.ne.jp/honsenji/ |
メモ | 旧東海道に面した品川寺の参道脇にある。江戸六地蔵のうち、街道に直接面しているのはここだけである。また、他の五体の地蔵尊は笠を被っているが、ここだけは被っていないので、お顔がよくわかる。 品川寺は、大同年間(806〜10)東国を巡錫していた弘法大師が、領主の品河氏に本尊の水月観音を授けたことにはじまるという。応永2年(1395)品河氏が滅びてからは草堂に安置され、観音堂として土地の人々の信仰を集めていた。 太田道灌はこの水月観音を信仰し、自らの持仏である聖観音を合わせて祀った。そして長禄元年(1457)伽藍を建立して金華山普門院大円寺と号したという。しかし永禄9年(1566)武田信玄が小田原北条氏を攻撃した際の兵火で焼失した。 江戸時代に入り、寛文元年(1652)弘尊上人は4代将軍・徳川家綱より寺地を拝領し、太田一族の外護を得て伽藍を再建、寺号を品川寺と改めた。明暦3年(1657)には弘尊上人の発願により、徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍を供養するための大梵鐘が家綱により寄進された。 江戸末期から明治にかけて再び寺運は衰退し、大梵鐘も海外に流出した。大正5年(1916)に品川寺に入った順海和上は寺の復興を計るとともに、大梵鐘の行方を求め、ジュネーブのブリアナ美術館にあることを確認、昭和5年(1930)に贈還された。 |
中央の朱印は火炎宝珠。右上は「東京六地蔵尊第一番」、左下は「品川寺印」。
2009.10.07
古今宗教研究所
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