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古今御朱印研究室

江戸六地蔵

第6番
大栄山 永代寺
だいえいざん えいたいじ
(千葉街道)

永代寺跡の石碑
深川公園内 永代寺跡の石碑

造立年代 享保5年(1720)
大栄山 金剛神院 永代寺 (だいえいざん こんごうしんいん えいたいじ)
本尊 (旧)阿弥陀如来
(現)歓喜天
創建年代 寛永4年(1627)
開山 長盛上人
宗派 高野山真言宗
所在地 東京都江東区富岡一丁目15−1 (地図表示:マピオン)
巡拝 御府内八十八ヶ所(68番)
メモ 江戸六地蔵のうち、最後に造立された永代寺の地蔵尊は明治の廃仏毀釈によって失われてしまった。
永代寺は、菅原道真の末裔とされる長盛法印が、霊夢により先祖伝来の八幡大菩薩像を携えて江戸に至り、永代島と呼ばれる小島の周囲を開拓して町場を開くとともに、富岡八幡宮を創建した際(一説には、南砂の富賀岡八幡宮に伝わる八幡像を長盛法印が遷したものともいう)、その別当として開創したと伝えられる。境内は広大で、現在の深川不動堂・深川公園などを含む一帯であった。
しかし、明治の神仏分離に際し、永代寺の住職は復飾して富岡八幡宮の宮司となり、永代寺は廃寺となった。このとき、地蔵尊も取り壊され、川口の鋳物業者によって鋳つぶされたようである。
その後、かつて永代寺で成田不動の出開帳が行われていた縁から永代寺の跡に成田山の東京別院・深川不動堂が開創された。また、明治39年(1906)には上野の浄名院に失われた永代寺の地蔵尊の代わりとして新たな地蔵尊が造立されている。
永代寺の法灯は旧塔頭の吉祥院が永代寺金剛神院の名跡を継いで守っており、六地蔵の御朱印(旧安置所)もそちらでいただくことができる。
なお、永代寺の地蔵尊は千葉街道の守護とされているが、千葉街道から永代寺はかなり離れており、むしろ霊巌寺のほうが近い。永代寺と千葉街道を対応させるのは無理があると思われるが、一応、通説に従っておく。
永代寺・六地蔵の御朱印

中央の朱印は宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上は「第六番」、その下は「江戸六地蔵尊旧安置所」、左下は「大栄山永代寺」。

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2009.10.07
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