中央の墨書は「本尊 不動明王」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は不動明王の種字「カンマーン」、右上は「第十六番」、左下は「常法談林所三宝寺印」。
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本 堂
亀頂山 密乗院 三宝寺 (きちょうざん みつじょういん さんぽうじ) | |
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本尊 | 不動明王 |
創建年代 | 応永元年(1394) |
開基 | 幸尊法印 |
宗派 | 真言宗智山派 |
所在地 | 東京都練馬区石神井台一丁目15−6 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ |
巡拝 | 関東三十六不動11番 豊島八十八ヶ所16番 武蔵野三十三観音3番 |
メモ | 門前に「守護使不入」の結界石が立つ。これは、守護の徴税権・警察権が及ばない特権が与えられていたことを示し、往時の寺格の高さを表す。 開創は応永元年(1394)。鎌倉大楽寺の権大僧都・幸尊法印が各地を巡錫して石神井郷小仲原の地に到り、石神井川を前に、三宝寺川の谷を後ろにして霊亀状の丘陵の頂になっているのを見て仏法有縁の地と感じて一宇を建立した。亀頂山という山号は、これに由来するという。 その後、領主・豊島氏の帰依を受けた。たびたびの戦災で寺運は衰えたが、文明9年(1477)太田道潅は石神井城を落として豊島氏を滅亡させると、その菩提を弔うため、三宝寺を城跡(現在地)に移した。 天文16年(1547)には勅願所とする綸旨を受け、小田原北条氏も寺領を寄進した。天正19年(1591)徳川家康も朱印地10石を賜り、無本寺としての格式を与えられるなど、朝廷・武門の崇敬を受けた。さらに関東十一談林の一として塔頭6ヶ寺、末寺60余ヶ寺を誇り、石神井氷川神社などの別当を務めるなど、寺運は興隆した。 山門は、徳川家光が鷹狩りの際にお成りになったということから「御成門」と呼ばれる。現在のものは文政10年(1827)に建てられたもので、文久3年(1863)と明治7年(1874)の火災で焼け残った唯一の建築物。長屋門はもともと勝海舟邸にあったもので、昭和35年(1960)その遺徳を慕って移築したものという。 奥之院(大師堂)は高野山の奥之院を模しており、四国八十八ヶ所のお砂踏みもある。根本大塔と平和観音は開創600年を記念して建立されたもの。 御府内八十八ヶ所の他、関東三十六不動・武蔵野三十三観音の札所としても巡拝の人々が訪れる。また、大黒天堂に祀られた開運出世大黒天も、甲子の日の縁日など、多くの人々が参詣するとのことである。 |
写寺 | 光耀山 観音寺 |
八十八ヶ所大意 | 亀頂山 密乗院 三宝寺 野方領石神井 〈本尊〉正観音 聖徳太子作 〈朱印地〉十石余 〈末寺〉四十三ヶ寺 ◇独礼 常法談林所 〈開山〉孝尊法印 無本寺 |
御成門 | 鐘楼 |
十一面観音(平和観音) | 観音堂 |
多宝塔 | 奥之院(大師堂) |
中央の墨書は「本尊 不動明王」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は不動明王の種字「カンマーン」、右上は「第十六番」、左下は「常法談林所三宝寺印」。
2009.07.01
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