中央の墨書は「本尊大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は「霊雲精舎」、右上は「第二十八番」、左下は「真言○○信受○○」。
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大本堂
宝林山 大悲心院 霊雲寺 (ほうりんざん だいひしんいん れいうんじ) | |
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本尊 | 両部大日如来 |
創建年代 | 元禄4年(1691) |
開山 | 覚彦浄厳律師 |
宗派 | 真言宗霊雲寺派 総本山 |
所在地 | 東京都文京区湯島二丁目21−6 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | つゆ霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし |
公式サイト | http://www.reiunji.or.jp/ |
メモ | 湯島に広大な境内と堂々たる惣門・大本堂を構える霊雲寺は、元禄4年(1691)、徳川幕府の命により、浄厳律師覚彦が幕府の永代祈願所として創建した名刹である。 浄厳律師は寛永16年(1639)河内国に生まれ、慶安元年(1648)高野山で出家した。諸宗学、特に悉曇学を研究するなど学僧として大きな成果を残し、また、戒律の復興にも尽力して如法真言律を唱道した。のみならず、生涯で結縁灌頂を授けた者304,055人、三帰・五戒・八戒・十念などを授けた者150万人余と、大衆教化にも多大な功績を残している。 晩年、江戸に下向した浄厳律師は、柳沢吉保の帰依を受け、元禄4年(1691)5代将軍・徳川綱吉に観音経を講義。綱吉の信任を得て、湯島に3,500坪の寺地を賜り、霊雲寺を建立した。翌5年(1692)には国家鎮護を祈願する大元帥明王法を修している。 同6年(1693)には朱印地100石を寄進され、同7年(1694)には関八州如法真言律の惣本寺とされた。同8年(1695)綱吉は自筆の大元帥明王と不動明王の画像を寄進(大元帥明王像は関東大震災の際に焼失し、不動明王像のみ現存)。同11年には谷中に墓所として1,300坪を与えられた(現在の妙極院)。 第二次大戦後の昭和22年(1947)に一派独立して真言宗霊雲寺派を称している。 伽藍は安政4年(1857)の火災をはじめ、関東大震災や東京大空襲などでたびたび堂塔を焼失しており、現在の大本堂などは昭和51年(1976)の再建である。 |
写寺 | 法界山 大日寺 |
八十八ヶ所大意 | 宝林山 大悲心院 霊雲寺 湯島大根畑 〈本尊〉大日如来 〈朱印地〉百石 〈末寺〉寺中六ヶ院 ◇独礼・触頭 〈開山〉浄厳和尚 関八州真言律惣本山 |
惣門 | 地蔵堂 |
百度石 | 宝筐印塔 |
中央の墨書は「本尊大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は「霊雲精舎」、右上は「第二十八番」、左下は「真言○○信受○○」。
2009.09.30
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