中央の墨書は「神霊山」「聖観世音菩薩」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は聖観音の種字「サ」、右上は「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」、左下は「神霊山金乗院」。
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神霊山 慈眼寺 金乗院 (しんれいざん じげんじ こんじょういん) | |
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本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年代 | 不詳 |
開山 | 永順法印 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都豊島区高田二丁目12−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | ふだらくやここは岬の船の竿 とるも捨つるも法のさだ山 |
巡拝 | 昭和新撰江戸三十三観音 |
メモ | 創建年代は不詳だが、永順法印が観音堂を建立し、聖観世音菩薩を安置したことに始まるという。永順法印は文禄3年に示寂しているので、それ以前の創建ということになろう。 戦後、戦災で廃寺となった54番東豊山新長谷寺(目白不動)を合併したので、御府内で唯一、一寺二札所となっている。 山門をくぐると、すぐ右手の高台に目白不動を祀る不動堂がある。 本堂の前には「倶梨伽羅不動庚申塔」がある。普通、庚申塔には青面金剛や「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られていることが多いのだが、これは不動明王の持つ倶梨伽羅剣(剣に龍が巻き付いている)と三猿が刻まれているという珍しい者である。 また、墓地には青柳文蔵と丸橋忠弥の墓がある。 青柳文蔵は現在の宮城県に生まれた江戸時代後期の医者で、仙台藩に書籍と百両を送り、これを元に仙台藩が公開図書館を開いたことから、日本の公開図書館の祖とされている。 丸橋忠弥は宝蔵院流の槍の使い手で、慶安の変(由井正雪の乱)に荷担し、鈴ヶ森で処刑された。一説には長宗我部盛親の庶子とも言われている。 |
写寺 | 蹉跎山 金剛福寺 |
八十八ヶ所大意 | 神霊山 金乗院 高田姿見橋 〈本尊〉千手観音 〈開山〉永順法印 中野村宝仙寺末 |
山門 | 修行大師 |
鐔塚 | 倶梨伽羅不動庚申塔 |
青柳文蔵の墓 | 丸橋忠弥の墓 |
中央の墨書は「神霊山」「聖観世音菩薩」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は聖観音の種字「サ」、右上は「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」、左下は「神霊山金乗院」。
2009.12.09
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