中央の墨書は「潮干十一面観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は十一面観音の種字「キャ」、右上は「御府内八十八第三十九番」、左下は「真乗院印」。
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金鶏山 海繁寺 真成院 (きんけいざん かいはんじ しんじょういん) | |
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本尊 | 潮干十一面観世音菩薩 |
創建年代 | 慶長3年(1598) |
開山 | 清心法印 |
宗派 | 高野山真言宗 |
所在地 | 東京都新宿区若葉二丁目7−8 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | なむ薬師諸病悉除の願こめて 詣る我が身を助けましませ |
巡拝 | 昭和新撰江戸三十三観音 関東九十一薬師 |
メモ | 四谷の寺町の一角にある。現在の建物は昭和46年(1971)に建てられたビルで、当時としては珍しかった室内墓地を備えている。寺の面する坂を観音坂というが、当寺の潮干観音に由来する名前である。 慶長3年(1598)麹町に建立された。往時は日比谷の入り江に面した場所だったという。同16年(1611)、江戸城の外濠工事のため、現在の地に替地を与えられ、移転してきた。 先代の住職・織田隆弘師は、正純密教を唱えて密門会を設立し、癌などの難病に苦しむ人々の相談に応じて霊験が多かったことから、癌駆込寺としても知られるようになった。 潮干十一面観世音菩薩については、寺の建立以前から観音様の石仏があったことがうかがわれるという(昭和新撰江戸三十三観音の札所案内による)。潮の干満によって台座が湿ったり乾いたりしたことから、そう呼ばれるようになったとされる。 現在の十一面観音はもとは信濃の村上義清の念持仏であったという。その孫の村上兵部道楽斎が上杉氏に従って大坂の陣に出陣し、江戸に入った際、身を隠さなければならなくなった。この時、当寺の住職がかくまったため、その返礼として寄進したものという。 なお、御府内八十八ヶ所の参拝については、一階本堂に祀られている弘法大師にお参りすることになっているようだ。 |
公式サイト | http://www.shinjoin.jp/ |
写寺 | 赤亀山 延光寺 |
八十八ヶ所大意 | 錦敬山 海繁寺 真成院 四ッ谷南寺町 〈本尊〉薬師 〈開山〉清心法印 多摩郡中野村宝仙寺末 |
観音堂 | 献眼慰霊碑 |
中央の墨書は「潮干十一面観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は十一面観音の種字「キャ」、右上は「御府内八十八第三十九番」、左下は「真乗院印」。
2009.12.09
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