中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「薬師如来」、脇に「弘法大師?」。中央の朱印は「佛法僧寶」、右は「御府内第四十六番」、左下は「萬徳山弥勒寺」。
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万徳山 聖宝院 弥勒寺 (まんとくざん しょうぼういん みろくじ) | |
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本尊 | 薬師如来 |
創建年代 | 慶長15年(1610) |
開山 | 有鑁上人 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都墨田区立川一丁目4−13 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし |
メモ | 慶長15年(1610)有鑁上人によって小石川鷹匠町に創建され、寛永10年(1633)日本橋馬喰町に移転した。現在地に移ったのは元禄2年(1689)のことである。 江戸時代には新義真言宗の触頭・江戸四箇寺に列し、朱印地百石・独礼の格式を誇るとともに、「川上薬師」として江戸の庶民の信仰を集めた。 この「川上薬師」という俗称には次のような由来がある。もともとこの薬師如来は、常陸国筑波郡内の真言宗寺院の本尊であった。ところが、水戸光圀の宗教政策のため、寺が取りつぶされ、この像も川に流された。すると、不思議なことに像は川下に流れることなく、川上へ一里半もさかのぼった。その奇瑞により、弥勒寺に祀られることになったという。 境内には、杉山検校(杉山和一)の墓があり、その傍には医療はり供養塔が建つ。杉山検校は杉山流鍼術の祖で、五代将軍綱吉の治療にも当たったことから、総録(総取締)に任じられ、本所一ツ目に土地を拝領して鍼法講習所を開設、多くの弟子を育てた。これは世界最古の障害者教育施設であるという。因みに現在、その地(墨田区千歳一丁目)には、杉山検校と、彼が信仰していた江ノ島弁財天を祀る江島杉山神社がある。 また、戦争被災者の墓は、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の犠牲者約3,500名の遺骨が納められているとのことである。 |
写寺 | 医王山 浄瑠璃寺 |
八十八ヶ所大意 | 萬徳山 聖宝院 弥勒寺 本所二ツ目林町 〈本尊〉薬師 理源大師御作 〈開基〉有鑁上人 〈朱印地〉百石 〈末寺〉三十ヶ寺 ◇独礼・触頭 |
杉山検校の墓と医療はり供養塔 | 戦争被災者の墓 |
中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「薬師如来」、脇に「弘法大師?」。中央の朱印は「佛法僧寶」、右は「御府内第四十六番」、左下は「萬徳山弥勒寺」。
2010.02.10
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