中央の墨書は千手観音の種字「キリーク」に「本尊阿弥陀如来」、脇に「弘法大師」「興教大師」。中央の朱印は同じく梵字の「キリーク」、 右上は「第五十七番」、左下は「明王院印」。
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七星山 息災寺 光徳院 (しちせいざん そくさいじ こうとくいん) | |
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本尊 | 大日如来 |
創建年代 | 慶長年間(1596〜1615) |
開山 | 不詳 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都中野区上高田五丁目18−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | たち寄りて作礼の堂に休みつつ 六字をとなえ経を読むべし |
メモ | 慶長年間(1596〜1615)麹町に創建されたと伝わる。寛永年間(1624〜44)市谷田町に、さらに牛込柳町に移転したという。現在地に移ってきたのは明治43年(1910)のことである。 門前に「天満宮御直作 千手観世音菩薩」という標石が建っているのは、境内の観音堂に、菅原道真が流罪となった太宰府で自ら彫ったと伝えられている観世音菩薩像を祀っているからである。江戸時代になって越前の松平公に迎えられ、さらに中野の宝仙寺に移された。そして、宝仙寺の14代住職であった秀雄法印が光徳院に移ったとき、一宇を建立してこの像を安置した。以来光徳院に奉安されている。 なお、本堂に祀られている本尊は大日如来であるが、納経印には「千手観世音」となっている。『御府内八十八ヶ所大意』でも本尊は観音となっている。元は千手観音が本尊とされていたのか、それとも札所本尊のような扱いなのかは判然としない。 境内でひときわ目を引くのは、平成7年(1995)落慶という五重塔である。小ぶり(高さ約15m)だが、木造本瓦葺きの本格的なもので、非常に端正な姿をしている。仏塔ファンの間では人気が高く、遠方から訪れる人もいるという。 |
写寺 | 作礼山 仙遊寺 |
八十八ヶ所大意 | 七星山 息災寺 光徳院 市ヶ谷柳町 〈本尊〉観音 菅原御作 音羽護国寺末 |
山門 | 六地蔵 |
観音堂 | 本堂 |
中央の墨書は千手観音の種字「キリーク」に「本尊阿弥陀如来」、脇に「弘法大師」「興教大師」。中央の朱印は同じく梵字の「キリーク」、 右上は「第五十七番」、左下は「明王院印」。
2010.05.05
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