中央の墨書は「本尊 不動明王」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は不動明王の種字「カーン」、右上は「奉拝」、右下は「御府内第六十六番」、左下は「東覚密寺」。
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白龍山 寿命院 東覚寺 (はくりゅうざん じゅみょういん とうがくじ) | |
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本尊 | 不動明王 |
創建年代 | 延徳3年(1491) |
開山 | 源雅和尚 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都北区田端二丁目7−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | はるばると雲のほとりの寺にきて 月日を今は麓にぞ見る |
巡拝 | 谷中七福神(福禄寿) |
メモ | 延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違橋(万世橋のあたり)に創建したと伝えられる。その後、根岸に移転。さらに慶長の初め頃(1600頃)、現在地に移ったという。幕府からは朱印地7石を寄せられている。 かつては隣接する田端八幡神社の別当であった。また、江戸の七福神めぐりで最も早く成立したとされる谷中七福神の福禄寿を祀る。 境内には金色の大日如来像や阿弥陀如来像をはじめ、多くの仏像が並ぶ。犬猫の墓の墓の隣にある竹型の碑は大田南畝の狂歌碑とのこと。 しかし、東覚寺の名を知らしめているのは、門前の明王堂(明導殿)の前に立つ2体の仁王像であろう。寛永18年(1642)の銘がある石の仁王像だが、全身に赤い紙が貼り付けられている。病気の人が、自分の患部と同じところに赤紙を貼り付ければ治るといわれ、赤紙仁王尊の名がある。元は田端八幡神社の社前にあったが、明治の神仏分離に際して東覚寺に移されたという。 参拝時は道路の拡張工事中で、赤紙仁王尊もブルーシートに包まれていたため、後日、写真を撮るために再度参拝(谷中七福神の巡拝を含めると三度目)。明王堂が新しくなっただけではなく、以前はなかった山門もできていた。 |
写寺 | 巨鼇山 雲辺寺 |
八十八ヶ所大意 | 白龍山 寿命院 東覚寺 田端八幡 〈本尊〉不動尊 〈朱印地〉七石 〈末寺〉五ヶ寺 同村与楽寺末 |
山門 | 鼓翼(はばたき)観世音菩薩 |
修行大師・文殊菩薩・大日如来 | 犬猫之墓・子育水子地蔵菩薩 |
明導殿 | 赤紙仁王尊 |
中央の墨書は「本尊 不動明王」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は不動明王の種字「カーン」、右上は「奉拝」、右下は「御府内第六十六番」、左下は「東覚密寺」。
2010.07.07
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