中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「本尊 薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は同じく梵字の「ベイ」、右上は「第六十七番」、左下は「東京芝愛宕町真福寺」。
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総本山智積院別院 摩尼珠山 宝光院 真福寺 (まにしゅざん ほうこういん しんぷくじ) | |
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本尊 | 薬師如来 |
創建年代 | 天正19年(1591)以前 |
開山 | 中興:照海上人 |
宗派 | 真言宗智山派 総本山智積院別院 |
所在地 | 東京都港区愛宕一丁目3−8 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | うえおきしこまつおてらを眺むれば 法のおしえの風ぞ吹きぬる |
公式サイト | http://www.chisan.or.jp/chisan/sinpukuji/(真言宗智山派) |
メモ | 慶長8年(1603)徳川家康が愛宕神社を創建した際、その麓に置かれた愛宕下六院の一つ。また、新義真言宗の触頭・江戸四箇寺の一つでもあった。 創建は不詳だが、天正19年(1591)下総国から江戸の鉄砲洲に移り、愛宕下への移転は慶長10年(1605)のことと伝えられる。この時の開基は浅野幸長で、照海上人を中興とする。 本尊は弘法大師の作とされる薬師如来の霊像で、浅野幸長は照海上人に等身大の薬師像を刻ませ、その中にこの霊像を納めさせたとされ、「愛宕下のお薬師さん」と通称される。 現在では、総本山智積院の別院となり、智山派の宗務出張所が置かれている。旧本堂・庫裏が老朽化したことから、平成7年(1995)に現在のようなビルに建て替えられた。 なお、境内には勝軍地蔵菩薩の銅像がある。もともと愛宕権現の本地仏である勝軍地蔵は、天正10年(1582)徳川家康の伊賀越えの際、信楽の多羅尾四郎右衛門から献上され、その霊験によって無事に三河へ帰還したという霊像である。別当の円福寺(真福寺と同じく江戸四箇寺の一つで、御府内19番札所だった)に祀られていたが(厳密には円福寺内の本地堂である御府内20番金剛院と思われる)、明治に円福寺が廃寺となったため、真福寺に遷された。しかし、関東大震災で焼失してしまった。この霊験を伝えるため、建立したものという(ただし20番鏡照院では、勝軍地蔵像は鏡照院に移され、現在も寺宝として安置されているとしている)。 |
写寺 | 小松尾山 大興寺 |
八十八ヶ所大意 | 摩尼珠山 宝持院 真福 愛宕下 〈本尊〉薬師 〈朱印地〉百石 ◇触頭・独礼 〈末寺〉四十四ヶ寺 寺中三ヶ寺 〈開山〉照海上人 |
本堂正面 | 勝軍地蔵菩薩 |
中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「本尊 薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は同じく梵字の「ベイ」、右上は「第六十七番」、左下は「東京芝愛宕町真福寺」。
2010.07.07
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