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天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳
【略縁起】
弘仁年間(810〜24)弘法大師巡錫の砌、現在の境内から200mほど山中に入った八畳岩で、諸人と自らの厄難を除くために護摩を修した。そして薬師如来の像を刻み、堂宇を建立して本尊としたのが始まりと伝えられる。堂の前に五色の藤を植えたことから藤井寺と名付けられたという。天正の兵火で焼失した後、延宝2年(1674)南山国師が再興し、臨済宗に改められた。天保3年(1832)再び火災に遭い、本尊以外の伽藍は烏有に帰した。再建は万延元年(1860)なので、天保11年当時は仮本堂の状態だったのだろうか。
【納経印】
文字は印判で「奉納経 本尊薬師如来 阿州金剛山 藤井寺」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印。右上は「四国第十一番」、左下は「藤井禅寺」。
【所在地】
阿波国麻植郡飯之尾村(徳島県吉野川市鴨島町飯尾)
【本尊】
薬師如来
2013.12.12
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