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古今御朱印研究室

江戸時代の納経帳

天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳

12番 摩廬山 焼山寺

焼山寺の納経印→大日寺へ

摩廬山 正寿院 焼山寺

【略縁起】
大宝年間(701〜04)、役行者小角が蔵王権現を祀ったことに始まると伝えられる。
弘仁5年(814)当地を訪れた弘法大師は、この山に大蛇が住み、火を吐いて山を焼いたり、作物を害するなどして人々を苦しめているという話を聞いた。大師が大蛇を退治するために山に登ったところ、大蛇は全山を火の海と阻もうとした。しかし、大師は摩廬(水輪)の印を結んで進み、ついに虚空蔵菩薩の加護を得て山頂付近の岩窟に封じた。これに因んで山号を「摩廬山」、寺号を「焼山寺」と称するようになった。
後醍醐天皇の勅願所とされ、足利尊氏の祈願所ともなった。

【納経】
墨書は「勅願處 金堂虚空蔵大士 阿州 焼山寺」、日付はなし。中央の宝印は十六八重菊の御紋。右上の印は「四國靈場十二番。左下は「虚空蔵院」。

【所在地】
阿波国名西郡左右内村(徳島県名西郡神山町下分)

【本尊】
虚空蔵菩薩

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2015.12.20
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