中央上の朱印は「静神社印」、下は「静神社社務所」。
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拝 殿
静神社 (しずじんじゃ) | |
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御祭神 | 建葉槌命〔たけはづちのみこと〕 〈相殿〉 手力雄命〔たぢからおのみこと〕 高皇産霊命〔たかみむすびのみこと〕 思兼命〔おもいかねのみこと〕 |
旧称 | 静明神 静大神宮 |
鎮座地 | 茨城県那珂市静455 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 式内社(名神大) 旧県社 常陸国二宮 |
由緒 | 創建年代は不詳。文献に初めて現れるのは『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850)の記事である。 祭神・建葉槌命は、日本書紀には倭文神建葉槌命と見え、、織物の祖神とされる。倭文は古代の織物の一種である静織(倭文織とも)のことである。この辺りは倭文郷と称し、『常陸国風土記』には、綾を織る機を知る人がなかった頃、この村で初めて織ったので、静織の里と称するようになったとある。 仁和元年(885)神階従五位上を奉られ、延喜の制では名神大社に列する。鹿島神宮に次ぐ常陸国の二宮であり、古くは鹿島神宮、香取神宮とともに東国の三守護神として崇められたという。 興国7年(1346)佐竹義貞は弘願寺・西方寺・静安寺を置いた。最盛期には三つの神社と七つの寺院による神仏習合の霊場であったという。 寛文7年(1667)水戸藩主・徳川光圀は静神社の神仏分離を行い、唯一神道に改めて社殿を改築した。西方寺・静安寺などは廃され、弘願寺のみ移転存続した。 この時、本殿脇の桧の根本から奈良時代後期のものとされる銅印(「静神宮印」)が発掘された(重文)。光圀は大変喜び、黒漆塗りの印笥を作らせ、自ら箱書きをしている。 光圀によって造営された社殿は天保12年(1841)祝融の災により焼失、現在の社殿は徳川斉昭の再建によるものである。 本殿の右後方、社叢の中に末社の手接足尾神社がある。手と足腰の守り神として信仰を集め、今も手差し・草鞋を供えて祈願する風習が残っているという。 |
例祭 | 4月1日 |
神事・行事等 | 6月5日/御田植え祭 11月25日/織物祭 11月25〜27日/秋の大祭(つた舞・お笹明神) |
文化財 | 〈重文〉銅印(附:印笥1合) 〈県有形文化財〉紙本著色三十六歌仙 |
公式サイト | http://www.shizu.e-naka.jp/ |
メモ | JR水郡線の静駅から田園地帯を緑に覆われた静神社の丘に向かって進んでいくと、大きな神明鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり、石段を登ると手入れの行き届いた境内が広がる。社殿も端正な印象を受ける。 宮司さんは気さくな方で、常陸の古代史や静神社の歴史、関東における物部氏や忌部氏の動向についての私見など、いろいろ話してくれた。 |
大鳥居 | 神門 |
織姫像 | 本殿 |
中央上の朱印は「静神社印」、下は「静神社社務所」。
2008.01.27
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