中央上の朱印は「吉田宮印」、下は「国内第三之鎮主霊験無二之明神也」。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 茨城県
拝 殿
吉田神社 (よしだじんじゃ) | |
---|---|
御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 茨城県水戸市宮内町3193−2 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・顕宗天皇・仁賢天皇の御代(485〜495)? |
社格等 | 式内社(名神大) 旧県社 常陸国三宮 |
由緒 | 鹿島神宮、静神社に次ぐ常陸国の三宮。かつての神宮寺は天台宗の吉田山薬王院であった。 社伝によれば、日本武尊が東夷征伐の帰途、当地に滞在したという由縁をもって、尊を奉斎したという。尊が滞在した場所は、現在、朝日三角山遺蹟として玉垣で囲われている。 創建年代は不詳だが、正安4年(1301)の文書に創建以来800年余りになるとあることから、顕宗天皇(在位485〜487)・仁賢天皇(在位487〜495)の御代に遡るのではないか、とする(501年なら武烈天皇の御代)。 朝廷の崇敬篤く、延喜式では名神大社に列した。建久4年(1193)後鳥羽上皇の勅により社殿を改築。以来、鹿島神宮の遷宮に次いで当社の造営を行うことを例とした。弘長元年(1261)神階正一位に昇叙する。 徳川光圀は特に当社を崇敬し、寛文8年(1668)社殿を造営。また、徳川斉昭は天保15年(1844)当社を水戸藩総鎮守とし、社領100石と『大日本史』を寄進した。 |
例祭 | 10月15日に近い金・土・日曜日 |
神事・行事等 | 2月節分/節分追難祭(厄除神事・厄除弓取の儀) 4月29日/春祭り 7月下旬の金・土曜日/御田植祭・子供あんどん祭 |
公式サイト | http://www.yoshidajinja.jp/ |
メモ | 道路に面した鳥居も大きいものではなく、参道も広いわけではないので、それなりのイメージで参道を進み、石段を登ると視界が開け、立派な楼門が現れる。光圀公の造営になる旧社殿は米軍の空襲により灰燼に帰し、現在の社殿は戦後の復興とのことである。 |
参道と一の鳥居 | 日本武尊御遺蹟(朝日三角山遺蹟) |
随神門 | 神楽殿 |
中央上の朱印は「吉田宮印」、下は「国内第三之鎮主霊験無二之明神也」。
2008.01.27
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.