中央の墨書は大日如来(金剛界)の種字「バン」に「大日如来」。中央の朱印は同じく梵字の「バン」、右上は「六十番前札旧跡」と「第三十四番」、左下はかすれて判読しづらいのだが、「石鈇山妙雲密寺之印」ではないかと思われる。
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本 堂
石鈇山 妙雲寺 (いしづちさん みょううんじ) | |
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本尊 | 大日如来 |
創建年代 | 天平5年(733) |
開基 | 石仙菩薩 |
宗派 | 高野山真言宗 |
所在地 | 愛媛県西条市小松町妙口甲716 (地図表示:マピオン) |
御詠歌 | あなうれし諸人救う誓いにて 蔵王権現ここに居ませり |
メモ | 国道11号線大頭交差点から横峰寺へ向かう遍路道の途中にある。北隣には石土神社がある。元は横峰寺の前札所なのだが、現在では「60番前札旧跡」を称するように、その経緯は少々複雑である。 もともとこの地には仏法山極楽院妙雲寺があった。石仙菩薩の開創になると伝えられる。石鎚蔵王権現の別当で、明治の神仏分離で石土神社と妙雲寺に分かれたものと思われる。 明治17年(1884)火災に遭い、廃寺とされる。これについて、翌18年(1885)、横峰寺(当時は大峰寺)と清楽寺との間で、大峰寺を60番札所とし、清楽寺を60番前札所とする取り決めが行われている。大峰寺の再興は明治12年(1879)なので、6〜7年にわたる問題が決着しているわけである。思うに、この問題を解決するために、敢えて妙雲寺を再興せず、前札所を清楽寺に移したのではないだろうか。 その後、妙雲寺の跡に約1kmほど東にあった鶴来山大儀寺を移し、妙雲寺の本尊と蔵王権現を安置して、「60番前札旧跡」を称するようになった。『愛媛県の地名』(平凡社)には「明治28年(1895)から昭和32年(1957)までは大儀寺と称した」とあるので、明治28年に移転し、昭和32年に現在の山号・寺号に改めたものと思われる。 手許にある明治38年(1905)の納経帳を見ると「六十番前札旧跡」「本尊御安置所 大儀寺」とあり、朱印は大日如来の種字「バン」である。旧妙雲寺がなくなり、前札所は清楽寺に、本尊は大儀寺に移されたということになろうか。 本堂には、蔵王権現と両寺の本尊・大日如来と阿弥陀如来が祀られている。また、本堂に掲げられている「蔵王宮」の扁額は諸侯随一といわれた書の達人、小松藩第三代藩主・一柳直卿の書で、市の文化財に指定されている。 |
「蔵王宮」の扁額 | 大師堂 |
中央の墨書は大日如来(金剛界)の種字「バン」に「大日如来」。中央の朱印は同じく梵字の「バン」、右上は「六十番前札旧跡」と「第三十四番」、左下はかすれて判読しづらいのだが、「石鈇山妙雲密寺之印」ではないかと思われる。
2009.04.20
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