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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

西宮神社
にしのみやじんじゃ

西宮神社拝殿

西宮神社 (にしのみやじんじゃ)
御祭神 〈第一殿〉
蛭子大神〔えびすのおおかみ〕
〈第二殿〉
天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕
大国主大神〔おおくにぬしのおおかみ〕
〈第三殿〉
須佐之男大神〔すさのおのおおかみ〕
旧称 西宮戎社 (大国主西神社)
鎮座地 兵庫県西宮市社家町1−17 (Mapion/googlemap
創建年代 不詳
社格等 旧県社 別表神社
由緒 蛭子大神(えびす様)を祀る神社の総本社で、「えびす宮総本社」と称される。
元来は西宮戎社と称し、南宮とともに廣田神社の末社であった。現在も西宮神社境内にある南宮は廣田神社の摂社(廣田神社のHPによれば末社)である。神祇伯の白川伯王家は、廣田神社を深く崇敬する関係から、当社にもたびたび参詣していた。
創建年代については不詳だが、大治3年(1128)の西宮歌合わせ・南宮歌合わせ、承安2年(1172)の廣田社歌合わせにえびす神の歌が詠まれていることなどから、この頃には鎮座していたものと考えられる。
当社の創祀については次のような伝承がある。
その昔、鳴尾(現在の西宮市鳴尾町)の漁師が漁をしていたところ、不思議な神像が網にかかった。魚でないので、海に戻し、魚の群れを求めて和田岬(現在の神戸市兵庫区)の辺りに移動して網を打ったところ、再び先ほどと同じ神像が網にかかった。
漁師は、これはただ事ではないと考え、家に持ち帰って丁寧にお祀りした。ある夜、漁師の夢に神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい」というお告げがあった。そこで漁師は仲間の漁師と相談し、神像を輿に乗せて、お告げの宮地を求めて西へ向かい、西宮の地に鎮座されたという。
この由緒により、往古は例大祭に和田岬への海上渡御を行っていた。織田信長の時代に社領を失ったため廃絶していたが、平成12年(2000)に西宮港内での海上渡御を復活。同21年(2009)には海上渡御再興十周年を記念して、約400年ぶりに和田岬への神幸を行った。なお、兵庫区の和田神社では、蛭子大神が淡路から最初に上陸されたのが和田岬であったという。
室町時代になると、散所村(現在の西宮市産所町)に住んでいた傀儡師(人形使い)が全国を巡り、えびす神の人形繰りによって神徳を説いたことにより、全国にえびす信仰が広まった。境内社の百太夫社には、彼らの祖神である百太夫神を祀っている。また、もともと大漁満足・海上安全の神であったが、商業の発展に伴い商売繁盛の神徳でも信仰を集めるようになった。
慶長8年(1603)豊臣秀頼による慶長の造営が始まった。寛文3年(1663)には徳川家綱により三連春日造りの旧本殿が造営されている(旧国宝、戦災で焼失)。また同7年(1667)には恵比須神の御神影の版権を幕府から得ている。
明治に入り、廣田神社から分離独立し、明治6年(1871)西宮戎社は延喜式神名帳所載の大国主西神社であるとして改称し、翌7年(1872)大国主西神社として村社から県社に昇格した。しかし、末社の大己貴社が大国主西神社であるという説が唱えられたため、教部省からの通達により社格は取り消し、大国主西神社(西宮戎社)を西宮神社、大己貴社を大国主西神社と改称し、ともに廣田神社の摂社とされることになった。
これに対して氏子総代が異議を申し立てたところ、西宮神社・大国主西神社はともに廣田神社の摂社のまま、県社と定めることになった。それでも氏子等が納得しなかったため、同8年(1873)両社とも廣田神社の摂社・県社とするが、西宮神社については県社として別に祀官を置き、社務も別途にしてよいという通達があった。
なお、大国主西神社とされた大己貴社は、元は本地・阿弥陀如来を祀る仏堂であったが、享保20年(1735)大己貴命・少彦名命を勧請して神社としたもので、本来の式内社ではないとされる。
戦後、廣田神社と西宮神社は別々の宗教法人となり、大国主西神社は西宮神社の境内社となっている。
例祭 9月21〜23日(西宮まつり)
神事・行事 1月2日/奉射事始祭
1月5日/百太夫神社祭
1月9〜10日/十日えびす
・1月8日/大鮪奉納
・1月9日/有馬温泉献湯
・1月10日/十日えびす大祭・開門神事福男選び
5月1〜10日/太々神楽祭
6月14日/御輿屋祭
7月20日/夏祭 えびす萬燈籠
7月31日/末社住吉神社夏祭り
10月第1土曜日・翌日曜日/宮水まつり
11月20日/誓文祭
文化財 〈重文〉表大門 大練塀 〈県天然記念物〉社叢
巡拝等 神仏霊場67番
公式サイト http://nishinomiya-ebisu.com/
メモ 阪神西宮駅からほど近い、西宮市の中心部に鎮座する。駅から歩いていくと、重要文化財に指定されている大練塀が目に入る。室町時代に建造された日本最古の築地塀で、熱田神宮の信長塀・三十三間堂の太閤塀とともに日本三大練塀に数えられる。同じく重要文化財の表大門は豊臣秀頼による慶長の造営時のもの。
えびす神については、蛭子神とする系統と事代主命とする系統があり、蛭子神系統の総本社が西宮神社である。事代主命とする系統の総本社は島根県の美保神社になる(他に少彦名命とする系統もある)。因みに、廣田神社と縁が深い神戸市の長田神社の御祭神も事代主命で、えびす様として信仰を集めている。
西宮神社の神事の中でも特に盛大なのが1月の十日戎である。大鮪奉納や有馬温泉献湯などの諸行事が行われるが、中でも有名なのは10日朝に行われる開門神事。午前6時に表大門が開かれると、外で待ち構えていた参拝者が本殿へ向かって走り参りをする。1番から3番に到着すると、その年の「福男」として認定されるが、その様子は、毎年、全国ニュースでも報じられる。
表大門 大練塀
表大門 大練塀
庭津日神社
南宮神社(廣田神社末社) 庭津日神社
六甲山神社・百太夫神社 火産霊神社
六甲山神社・百太夫神社 火産霊神社
大国主西神社 本殿
大国主西神社 本殿
西宮神社の御朱印

中央の墨書及び中央下の朱印は「西宮神社」。中央上の朱印は三つ柏の神紋、右上は「えびす宮総本社」。

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2011.05.11
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