中央の墨書は「歓喜天尊」、脇に「弘法大師」。中央上の朱印は巾着と違い大根に歓喜天の種字「ギャクギャク」、下は弘法大師を表す弥勒菩薩の種字「ユ」、右上は「御府内六十八番」、左下は「大栄山 永代寺」。
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大栄山 金剛神院 永代寺 (だいえいざん こんごうしんいん えいたいじ) | |
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本尊 | 歓喜天 |
創建年代 | 寛永4年(1627) |
開山 | 長盛上人 |
宗派 | 高野山真言宗 |
所在地 | 東京都江東区富岡一丁目15-1 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 笛の音も松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも法のこえごえ |
巡拝 | 江戸六地蔵(現存せず) |
メモ | 寛永4年(1627)菅原道真の末裔とされる長盛法印が、霊夢により、先祖伝来の八幡大菩薩像を携えて江戸に至り、永代島と呼ばれる小島の周囲を開拓して町場を開くとともに、富岡八幡宮と別当の遍照院を創建し、自らその住職となった。これが永代寺の始まりである。承応2年(1653)仁和寺から「大栄山金剛神院永代寺」の寺号を贈られた。 往時の永代寺は非常に広大で、現在の富岡八幡宮から深川不動堂、深川公園を含む一帯が境内であった。深川不動堂は、かつて永代寺境内で成田不動の出開帳が行っていた由縁から、明治になって創建されたものである。なお、門前横丁は永代寺の門前であったことに由来する。 明治の神仏分離に際し、当時の住職は還俗して富岡八幡宮の宮司となり、永代寺は廃寺となった。境内にあった江戸六地蔵の銅像地蔵菩薩坐像も失われた。 現在の永代寺は、旧塔頭の吉祥院が明治29年(1896)に永代寺の名跡を継承したものである。 |
写寺 | 琴弾山 神恵院 |
八十八ヶ所大意 | 大栄山 金剛神院 永代寺 深川八幡 〈本尊〉阿弥陀 ◇独礼 〈末寺〉一ヶ寺 〈開山〉周光阿闍梨 御室末 寛文年中関東五ヶ寺并御旅所 |
地蔵堂 | 永代寺跡の碑(深川公園内) |
中央の墨書は「歓喜天尊」、脇に「弘法大師」。中央上の朱印は巾着と違い大根に歓喜天の種字「ギャクギャク」、下は弘法大師を表す弥勒菩薩の種字「ユ」、右上は「御府内六十八番」、左下は「大栄山 永代寺」。
2010.07.21
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