中央の朱印は「相模国総社 六所神社」。
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拝 殿
六所神社 (ろくしょじんじゃ) | |
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御祭神 | 櫛稲田姫命〔くしいなだひめのみこと〕 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 大己貴尊〔さむかわひめのみこと〕 |
旧称 | 柳田明神 国府六所宮 |
鎮座地 | 神奈川県中郡大磯町国府本郷935 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・崇神天皇の御代(B.C.97〜B.C.30)甲申の年 |
社格等 | 旧郷社 相模国総社 |
由緒 | 相模国の総社六所宮である。 元は柳田大明神と称した。当地はもともと柳田郷といい、社伝によれば、崇神天皇の御代に出雲から移住してきた柳田氏が開拓し、氏神として自らの祖神である櫛稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊を祀ったのが創祀という。崇神天皇の甲申の年のことという。それに従えば、崇神天皇の御代には甲申の年がB.C.97年とB.C.37年の2回あるので、そのどちらかということになろうか。 平安時代、相模の国府が大住郡〔おおすみぐん〕から余綾郡〔よろぎぐん〕(当社の辺り)に移された。総社制度の成立にあたり、柳田大明神が相模の総社とされた。 さらに一宮・寒川神社、二宮・川勾神社、三宮・比々多神社、四宮・前鳥神社、平塚八幡宮(一国一社八幡宮・五宮格)を勧請し、柳田神社と合わせて六所宮(国府六所宮)となった。毎年5月5日に行われる国府祭〔こうのまち・こくふさい〕は、その時の様子を再現するものと伝えられる。 源頼朝は国府六所宮を篤く崇敬し、治承4年(1180)富士川の合戦に際して戦勝祈願を行った。また、その論功行賞も六所宮で行った。文治2年(1186)には本殿を造営、建久3年(1192)には夫人政子の安産祈願のため神馬を奉納した。 その後も、小田原北条氏により神領の寄進、社殿の造営が行われ、徳川家康は天正19年(1591)に朱印地50石を寄進した。 |
例祭 | 5月5日(国府祭) |
神事・行事 | 9月第一日曜日/櫛魂祭 |
文化財 | 〈県無形民俗文化財〉国府祭 |
公式サイト | http://www.rokusho.jp/ |
メモ | 総社は、国司の奉幣・参拝の便のため、国内の神社の神々を国衙近くに勧請したもの、同じく六所宮は国内の主要な六社を国衙に勧請して祭祀を行ったもので、本来別のものであるが、当社や武蔵府中の大國魂神社のように、両者を兼ねるものもある。新しく創建される例も多いが、当社のように、元からあった神社に合祀したところもある。この点でも大國魂神社と共通するが、大國魂神社が六社を勧請しているのに対して、当社は五社を勧請し、当社自身を合わせて六所とする) 国道1号線沿いにある鳥居から参道を進むと東海道線が横切り、その下をくぐって神社に向かう。境内は道路より低くなっており、その先の石段を上がると社殿がある。広い境内ではないが手入れが行き届いており、大きな神池もあって、清々しい印象である。 |
参道入り口の鳥居 | 神池 |
六所稲荷 | 本殿 |
中央の朱印は「相模国総社 六所神社」。
2007.06.17
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