墨書は「信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮」。中央の朱印は「諏訪上社」、右上は「信州一宮」。
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拝殿及び左右片拝殿
諏訪大社 上社本宮 (すわたいしゃ かみしゃ ほんみや) | |
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御祭神 | 建御名方神〔たけみなかたのかみ〕 八坂刀売神〔やさかとめのかみ〕 |
旧称 | 諏訪(諏方)神社 南方刀美神社 諏訪大明神 諏訪南宮大明神 諏訪南宮法性上下大明神 諏訪南宮正一位法性大明神 |
鎮座地 | 長野県諏訪市中洲宮山1 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 信濃国一宮 旧官幣大社 別表神社 |
由緒 | 古くより東関第一の軍神として朝廷・武門の崇敬を受けた諏訪大社は、諏訪地方一円を氏子とし、諏訪湖をはさんで上社・下社が鎮座する。上社は本宮と前宮〔まえみや〕、下社は秋宮〔あきみや〕と春宮〔はるみや〕から成り、さらに境内・境外に60余の摂末社がある。 御分霊を祀る神社は数多く、神社本庁に所属する法人格を持った神社だけでも全国で約6500社、摂末社を含めると1万余社という。 御祭神は建御名方神とその妃・八坂刀売神だが、古くから上社に建御名方神、下社に八坂刀売神を祀るという伝承があり、諏訪の七不思議の一つ、諏訪湖の御神渡り〔おみわたり〕は建御名方神が八坂刀売神のもとへ通った道筋とされる。建御名方神は大国主命と高志沼河姫命の御子神で、国譲りの神話において諏訪に鎮座した由縁が語られている。 古来、南方刀美神社〔みなかたとみじんじゃ〕・諏訪南宮大明神等と称され、朝野の篤い崇敬を受けた。孝徳天皇8年(652)、持統天皇5年(691)には勅使が遣わされ、大宝3年(703)には祈年の奉幣に預かっている。延暦20年(801)には諏訪郡田畠山野各1千町、稲8万4千束を年中の祭祀料に当てられ、大同元年(806)には神封7戸を寄せられている。 神階は承和9年(842)信濃国諏訪郡无位勲八等南方刀美神に従五位下が授けられ、天慶3年(940)には正一位に叙された。延喜式においては南方刀美神社二座として名神大社に列している。 軍神として武門の崇敬極めて篤く、源頼朝は源氏再興の守護神として篤く崇敬し、社領を寄進した。武田信玄は社領の寄進や社殿の造営に努めるとともに、合戦のたびに戦勝を祈願している。また、徳川家康は織田信長の軍勢によって焼き討ちにされた社殿を再建するとともに、上社に一千石、下社に五百石、合わせて千五百石の朱印領を寄せている。 上社では御祭神の末裔とされる諏訪氏が大祝を継承した。大祝は諏訪明神の化身、現人神として神秘的な権威を有するとともに、神党と呼ばれる武士団を形成し、鎌倉幕府や室町幕府に仕えた。諏訪氏は戦国時代に武田信玄に滅ぼされるが、後に再興されて諏訪高島藩主となり、大祝職も再興されて、ともに明治に至った。 |
例祭 | 4月15日(御頭祭・酉の祭) |
神事・行事 | 1月1日/蛙狩神事並御占神事 1月5日/御頭受 1月11日/御符渡 1月15日/田遊神事 1月下旬〜2月上旬/境じめ神事 2月28日/野出神事 4月12日/小立座神事 4月22日/習焼神社参向 4月27日/御座石神社参向 5月2日/押立御狩神事 6月第1日曜/御田植祭り 6月27日/御狩神事 8月27日/御射山社祭 9月15日/十五夜相撲神事 10月2日/児玉石神社参向 11月28日/小神立座神事 12月27日/煤払神事・石送神事 |
文化財 | 〈重要文化財〉幣殿・拝殿・左右片拝殿・脇片拝殿・四脚門 〈県無形民俗文化財〉御柱祭り 十五夜祭奉納相撲 〈県天然記念物〉諏訪大社上社社叢 |
公式サイト | http://suwataisha.or.jp/ |
メモ | 諏訪大社は大神神社や金鑚神社などとともに、本殿を持たない古い形式を残した神社として知られる。現在の社殿は、諏訪高島藩主により造営されたもので、二代目立川和四郎富昌が手がけた諏訪立川流の代表的建築物として知られる。また、社殿の周囲には名高い四本の御柱が立っている。 参拝は9月上旬の日曜日。団体の観光客を含め、次々に参拝者が訪れていた。 |
東参道の鳥居 | 出早社 |
神楽殿 | 勅使殿 |
四脚門 | 勅願殿 |
墨書は「信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮」。中央の朱印は「諏訪上社」、右上は「信州一宮」。
2010.06.23
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