墨書は「信濃国一之宮 諏訪大社 下社秋宮」。中央の朱印は「信州一之宮 諏訪大社」。
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幣拝殿
諏訪大社 下社春宮 (すわたいしゃ しもしゃ はるみや) | |
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御祭神 | 建御名方神〔たけみなかたのかみ〕 八坂刀売神〔やさかとめのかみ〕 〈配祀〉 八重事代主神〔やえことしろぬしのかみ〕 |
鎮座地 | 長野県諏訪郡下諏訪町大門193 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 信濃国一宮 旧官幣大社 別表神社 |
由緒 | 古くより東関第一の軍神として朝廷・武門の崇敬を受けた諏訪大社は、諏訪地方一円を氏子とし、諏訪湖をはさんで上社・下社が鎮座する。上社は本宮〔ほんみや〕と前宮〔まえみや〕、下社は秋宮〔あきみや〕と春宮から成り、さらに境内・境外に60余の摂末社がある。 御祭神は建御名方神とその妃・八坂刀売神だが、古くから上社に建御名方神、下社に八坂刀売神を祀るという伝承がる。建御名方神は大国主命と高志沼河姫命の御子神で、国譲りの神話において諏訪に鎮座した由縁が語られている。また、下社には建御名方神の兄神である八重事代主神が配祀されている。 下社では半年ごとに御祭神が秋宮と春宮を遷座する。8月1日に春宮から秋宮へ、2月1日に秋宮から春宮への遷座祭が行われる。特に8月1日の遷座祭は下社の例大祭であり、芝舟の曳航があることから「お舟祭」と称される。 下社の秋宮・春宮は上社本宮と同じく本殿がない。幣拝殿の奥には御宝殿があり、その奥にあるご神木を御神体としてお祀りする。春宮のご神木は杉の木である(因みに秋宮はイチイである)。 春宮の幣拝殿・左右片拝殿は柴宮(伊藤)長左衛門が頭領を請け負い、秋宮の初代立川和四郎と腕を競ったものである。サイズは違うが構造は同じで、同一図面を与えられたものであろうという。そのため、彫刻でその腕が競われており、建築彫刻の名手であった長左衛門の腕前がよくうかがえるという。 また、神楽殿の左にある筒粥殿では、毎年1月14日の夜から15日の朝にかけて筒粥神事が行われる。大釜に米と小豆、アシの筒を入れて一晩炊き続け、筒の中に入った粥の状態を見て、その年の作物の出来具合を占う。 |
例祭 | 8月1日(お舟祭) |
神事・行事 | 1月15日/筒粥神事 2月1日/遷座祭 7月31日/柴舟引渡式 8月1日/遷座祭 12月28日/煤払神事 ※式年造営御柱大祭(寅・申の年) |
文化財 | 〈重要文化財〉幣拝殿・左右片拝殿 〈県無形民俗文化財〉御柱祭り |
公式サイト | http://suwataisha.or.jp/ |
メモ | 秋宮の賑わいが嘘のように静かな境内である。規模から見ても、下社では秋宮がメインになるから、観光といえばそちらだけということになるのだろうが、せっかく近くにあるのだから…と惜しいように思われる。とはいえ、そのおかげでゆっくり参拝できるのだが。 境内のすぐ脇には旧中山道が通る。秋宮から春宮に向かう道の途中に中山道と甲州道中の合流点がある。 境外にある「万治の石仏」は、巨大な自然石の上に仏頭が載せられた風変わりなもので、顔の造形はイースター島のモアイを彷彿とさせる。岡本太郎氏がこの像を賞賛したことから有名になった。「万治三年十一月一日」の銘があることから、「万治の石仏」の通称がある。 伝説によれば、下社春宮に石の鳥居を建てる際、この石を用材にしようとした。しかし、ノミを入れたところから血が流れ出したので、石工たちは恐れをなして仕事を止めた。その夜、上野山(現・茅野市)によい石材があるという夢告があり、そこで良材を見つけることができたため、無事に鳥居は完成し、石工たちはその石を阿弥陀仏として祀ったという。 この石仏について、五来重氏は『石の宗教』で、近世初頭に存在した弾誓上人流の修験道に由来する遺品であろうと推定している。この一派は、念仏を理想として阿弥陀如来と一体となる即身成仏を目的とし、「仏頭伝授」という儀式を持っていたという。万治3年(1660)が弾誓上人の五十回忌であると推測されることから、それを記念して、この石仏が作られたのではないかという。 |
下馬橋 | 石鳥居 |
神楽殿 | 筒粥殿 |
浮島社 | 万治の石仏 |
墨書は「信濃国一之宮 諏訪大社 下社秋宮」。中央の朱印は「信州一之宮 諏訪大社」。
2010.06.30
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