左が平成元年に拝受した一番奥の院の納経印、右が平成19年に拝受した四国曼荼羅霊場の納経印。中央の文字は弥勒菩薩の種字「ユ」に「種蒔大師」、左は「東林院」。弘法大師は弥勒菩薩の身代わりとして今も衆生を救済されている、つまり弘法大師は弥勒の三昧に住しておられる(大師と弥勒は一体である)ということから、弥勒菩薩の種字を用いる。同じく中央の朱印も、宝珠に弥勒菩薩の種字「ユ」。左下の朱印は「徳島県鳴門市東林院」。
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大師堂
八葉山 神宮寺 東林院 (はちようざん じんぐうじ とうりんいん) | |
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本尊 | 薬師如来 愛染明王 弘法大師(種蒔大師) |
通称 | 種蒔大師 |
創建年代 | 天平5年(733) |
開基 | 行基菩薩 |
宗派 | 高野山真言宗 |
所在地 | 徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59 (地図表示:マピオン) |
御詠歌 | 種蒔きし稲穂みのりて栄えゆく 大師のめぐみ仰げもろびと |
メモ | かつての1番札所霊山寺の奥の院は大麻権現(大麻比古神社)であったが、明治の神仏分離で切り離された。現在は一般に東林院が奥の院とされている。四国曼荼羅霊場の第1番札所であり、阿波北嶺薬師霊場の第16番札所でもある。撫養の港から霊山寺に向かう途中にあり、かつてはここを札始めとする遍路も多かったという。 天平5年(733)行基菩薩の開創と伝えられる。隣接する式内社(論社)・宇志比古神社(旧称・八幡宮)の別当であり、寺号も同社の神宮寺であったことに由来するのではないかと思われる。 大同年間(806〜10)弘法大師が留錫し、農業を勧める自ら鍬を取って米麦の種を蒔いたという。この地を離れるにあたり、人々の熱望に応じて等身大の自刻像を残した。種蒔大師として崇められ、広く信仰を集めたという。 元禄年間(1688〜1704)の火災で旧記等焼失し、古い記録は残っていないが、石清水八幡宮の古文書に、治承2年(1178)東林院についての記録があるという。 中世には薬王寺・太龍寺などとともに阿波国八門首の一として、末寺18ヶ寺を擁し、大伽藍を誇ったという。学問寺として名高く、高野山の歴史に名前を留める幾多の名僧を輩出している。 本尊は、本堂には愛染明王が祀られており、「本尊愛染明王」という看板も掲げられているが、四国曼荼羅霊場の御影は薬師如来になっている(曼荼羅霊場の案内書でも薬師如来)。阿波北嶺薬師霊場の札所の薬師如来(行基菩薩の作とされ、身代わり薬師として信仰を集めるという)が祀られているのは、大師堂の隣の小さな薬師堂である。この辺りの関係はどうなっているのか不明。 とはいえ、四国霊場としてのこの寺の中心は「種蒔大師」であり、納経印もそうなっている。一番霊場奥の院の御影も種蒔大師である(曼荼羅霊場の案内でも、大師堂の写真が使われていることが多いようだ)。そういう意味では、札所本尊は弘法大師(種蒔大師)ということにして、お寺そのものの本尊について深く考える必要はないのかも知れない。 |
本堂 | 薬師堂 |
左が平成元年に拝受した一番奥の院の納経印、右が平成19年に拝受した四国曼荼羅霊場の納経印。中央の文字は弥勒菩薩の種字「ユ」に「種蒔大師」、左は「東林院」。弘法大師は弥勒菩薩の身代わりとして今も衆生を救済されている、つまり弘法大師は弥勒の三昧に住しておられる(大師と弥勒は一体である)ということから、弥勒菩薩の種字を用いる。同じく中央の朱印も、宝珠に弥勒菩薩の種字「ユ」。左下の朱印は「徳島県鳴門市東林院」。
2007.06.10
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